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アメリカで考えたこと【ワシントン編①】

昨年の3月、駒橋くんと私たち夫婦の3人でアメリカ(ワシントンとサンフランシスコ)へ行きました。その時考えたことをまとめてみました。

ここではワシントンでまわった公園の話を。

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ほぼ通訳は駒橋くんに任せっきり。ハンバーガーの注文ぐらいできるかと思ったけど、まあ聞き取れないし話せない。すぐに断念。だけど、アジア人の僕が下手な英語を話しても、それで嘲笑されたりイライラされたりすることはなかった。これはアメリカ旅行を通して言える。英語のできない人を笑ったりバカにしたりする雰囲気はなかった。それは英語が母語でない人の数が多いというアメリカ特有の事情によるものだろうが、それにしても日本社会と比較してしまう。ある日本のバラエティ番組で日本語を上手に話すことができない海外出身の店員さんを嘲笑するシーンがあったが、それをそのまま流したテレビ局は想像力を欠いていると思った。

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ワシントンの第一印象は「広い!」というもの。展望の良い場所がたくさんあるため、およそ首都とは思えない雄大さがあった。

まずはアインシュタイン先生にご挨拶。

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そのあと、リンカーン記念堂へ。マーティン・ルーサー・キングが演説をした場所としても有名。

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そのほかにも、自転車で回れる範囲の場所に、キング牧師の記念碑や、フランクリン・ルーズベルトの記念公園などがある。なかでも目を引いたのは朝鮮戦争戦没者慰霊碑だ。

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子どもが見たら泣きだすんじゃないかと思うくらいのリアルさ。辛そうな兵士たちの表情が出ていた。だが、これがモニュメントというものなのではないか。子どもの時、母親に連れられて広島の原爆資料館にいったが、そこで今はもうない有名な被爆者の蝋人形を見た。あの時の恐怖は忘れられない。「二度とここには来たくない」と強烈に思った。だが、今思うとそれはとても大切な経験だった。

ワシントンにはこうした記念堂や慰霊碑がたくさんある。ちょっと荒っぽい言い方だが、日本でいえば永田町・霞が関周辺に、自由民権運動や日清戦争・日露戦争・十五年戦争・アジア太平洋戦争を伝える公園・記念堂や慰霊碑が置かれているようなものだ。もしくは、国会前の公園に南方戦線の日本兵の像を並べているような感じだろうか。確かに国会前には無料で入れる憲政記念館もあるが、やはり博物館展示とは視覚に訴えてくるものが違うし、なにより24時間365日誰でも見ることができる。

気になったのは、ここに記念公園・記念堂が作られた人物の評価についてだ。歴史上の人物の評価など研究や時代状況によってすぐに変わる。「もしルーズベルトの評価がのちの研究によってガタ落ちしたらどうするんだろう」と意地悪く考えてしまった。

というのは、日本ではある人物の評価が大きく変わるということがよくあるからだ。足利尊氏や田沼意次、最近だと吉良義央などが良い例だ。なかでも、二宮尊徳の評価の変わりようは面白い。かつては「勤勉のカリスマ」のようにもてはやされ、僕が子どもの時にはいろんな小学校に少年時代の二宮尊徳像があった。(僕が通っていた鵠洋小学校にはなかったがサッカーの練習で行っていた片瀬小学校にはあった)しかし、有名な話だが、実物の二宮尊徳は成長後には酒・道楽が大好きで、うまいことやって税を逃れることのできる当時の制度を活用して財を成した。小熊英二は彼のことを「「税金を払わない大企業」の先駆者」と評したわけだが、もう小学校に二宮尊徳像は置けなくなってしまったろうし、「勤勉のカリスマ」というキャラクターでもなくなってしまったろう。

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