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中学受験・【歴史⑥】

<つぶやき>でご報告のとおり、先週はお休みをさせて頂きました。突然で申し訳なかったです。。。

なので!
今週は2本投稿で【歴史】を進めたいとおもいます。

前半は「明治維新」について書こうと思います!
しばしお付き合い頂けたらと嬉しいです。


1867大政奉還 ⇔王政復古の大号令
1868明治維新 (〜1912)

明治時代は1868年から1912年まで。

意外とこの年号の感覚がない方が多いのではないでしょうか?年号をしっかり暗記しろとは言いませんが、
大体このくらいという感覚は大切したいものです。


「大政奉還」と「王政復古の大号令」の違いは
それを行なった人、主語にあります。

明治時代になっても、明治天皇に政治の権利を
徳川将軍家がお返ししたのが大政奉還。


いっぽうで薩摩藩、長州藩を中心とした明治新政府が「いや、もう天皇に主権が戻った」と大々的に広めたのが王政復古の大号令です。



明治維新は3ステップ!!!

①中央集権国家に 版籍奉還 →廃藩置県
②1873徴兵令、地租改正

まずは天皇中心の中央集権国家にすることから。
土地も民も天皇のものに。版籍奉還です。

勘が鋭い方は気づきましたか?


大化の改新そのまんま、「公地公民」の近代版というだけなんです!ただちょっとだけ違うんです(笑)

実際に、その地域に「知事」が来ただけでなにか生活が変わるでしょうか?そんなことないんです。


だから、中央から役人を連れて来た。
これが本当の意味での「廃藩置県」。
ただ藩が府県に変わった、ふーーんではないんです!


一応できました。中央集権国家。
お次は近代化!

税金を人ではなく、土地に課します。
土地の値段「地価」の3%を現金で徴収し、
20歳以上の男子を日本の国家の兵隊に。


地租改正と徴兵令は1873年に行われます!

ここで問題!!!

文明開化とは何のことを指すのか?
ここでは書きません。コメントにお待ちしてます〜



藩閥政治からの脱却、征韓論の失敗
1、西郷隆盛 1877西南戦争
2、板垣退助 民撰議院設立建白書 →自由民権運動

中央集権国家ができ、近代化に成功し、
最後のステップは「国民による議会を開くこと」。


先に言っておきますが、明治のこの時期には結局のところ成功はしていません。

が、このプロセスが入試に出るんです。ややこしや。


「征韓論」のおはなし。
アメリカが日本を開国させたように、
日本が朝鮮半島を武力で開国させようという考え。

唱えたのが西郷と板垣。なぜか?


薩長のリーダーは当時外国で勉強中。
岩倉使節団というやつです。津田梅子とかとか…

お留守番の2人は、政府のお金が少なすぎてどうしたもんかと困っており、無職の武士にも困っています。


「るろうに剣心」の世界です!

なので!朝鮮に武士を連れて行って戦わせ、
朝鮮と貿易でお金を何とかしよう大作戦!!!



そんなとき帰ってきた岩倉使節団が猛反対。

やり場を失った戦の天才・西郷は西南戦争を……
なんとも悲しい最期です。


いやいやなんでそもそも薩長が政治してるわけ?
国民自身が国について決めるべき!
自由民権運動が盛り上がっていくわけです!



最後!

③内閣制度 →1889大日本帝国憲法 →帝国議会

政党ができ、初代内閣総理大臣・伊藤博文が誕生し、
憲法もできた!!


そうしてようやく帝国議会が開かれるのでした。
ちゃんちゃん。




とはいきません。問題点が2つ。

伊藤博文は長州の出身です。結局、総理大臣を薩長で交互に務めるだけ。

選挙には「直接国税15円以上をおさめる25歳以上の男子」のみが参加できたのです。


諸説ありですが、年収1000万円といったところ。
ハードル高すぎの男女差別。ダブルパンチです🤛




近代国家へのあゆみを見てきました。
なかなか複雑な単元を1回にまとめたので、
この記事の要件は満たしていますが
それでもたいへんだとおもいます。


何度も重点的に勉強を重ねて欲しいとおもいます。
前半は以上です!


さらに詳しい解説はコメントで受け付けます。
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ここまでお付き合い頂きありがとうございました!

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