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「僕が書かなくても...」
先日、こんな記事を読みました。
読みながら「そうだよね。そうだよね」って頷いていました。
僕が感じていること、言いたいこと、表現したいことが、そこには全て詰まっていました。
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こんな文章を目の当たりにすると「自分がnoteを書く必要なんて無いんじゃないか」って気持ちになります。
note公式アカウントから「今週のおすすめnote」として紹介され、多くのスキ(いいね!みたいなもの)が付いて...
それでいて、自分が納得するような記事に仕上がっている。
noteには、日々たくさんの記事が投稿されています。
取り立てて文才も無く、個人としての魅力も確率されていない僕が、何かを表現する意味ってあるのだろうか。
「僕が書かなくても...誰かが書いてくれる」
そんな気持ちになってしまったのです。
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話は変わりますが....僕は病院で働いています。
実は今日、気付いたことがあります。
「この仕事が好きなんだな。」
「誰かのためじゃなく、自分がやりたいからやる」
「やるからには、責任をもって対応したい」
という気持ちが、自分の中にありました。
新しい手術の術式に関われる。僕がその仕事に関われるなら、積極的に介入したい。
夏からは新しい分野の仕事も始まりそうです。できることなら、その仕事にも関わりたい。
理由は簡単で「自分がやりたいから」
上司から命令されるのではなく、仕事をやりたくない人からの押し付けでもなく、自分がやりたいからやる。ただそれだけ。
先の平岡雄太さんの記事「会社はだれも君に残って欲しいとは頼んでないよ」と、新卒時代の上司は言ったに登場する上司の言葉を引用します。
『でもそれはぼく自身も同じこと。だれもぼくが辞めると言っても止めはしない。だからね、ぼくは自分の意思でこの会社で仕事をしているんだ。』
僕は自分の意志でこの病院で仕事をしている。
僕は自分の意志で仕事をしたいんだ。
辞めるときも、一緒なんだと思う。(あ、辞める予定はありませんよ。笑)
大事なのは、自分の気持ち。意志なんだよね。
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noteも一緒なのかもしれません。
noteを書くのは、やっぱり自分の意志なんだよね。「書きたい」ってことがあるから記事にして、投稿する。
他の誰かがすごい良いことを書いても、それを見て自分を卑下する必要もないのかなって。今はそう感じます。筆を擱くのは“自分が辞めたい”と思ったときでいいのかもしれません。(noteは筆使わないけど)
noteを続けているうちに、どこか肩に力が入っていたのかもしれません。
「文字数は1000文字ぐらいまで書かないと」
「ページビュー数が増えるような良い記事を書かないと」
そんな風に。
他の誰かと、何かと、競はなくてもいい。
僕はただ自分の思いを、考えをnoteに投影するだけ。
理由は、そう「自分がやりたいから」
ちょっとだけ肩の荷が降りた気がしました。
良い記事は書けないかもしれないけれど、自分のため、そして読んでくれる人のために、もう暫らくnoteを続けたいと思います。
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。