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アバターを使う意味とは何か?

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メタバースはアバターの使用を前提にしていますが、果たして、それは絶対的に必要なものなのでしょうか?
つまり、自分の身体を後ろから見る必要があるのか? という問いです。

『絶対に』必要というわけではない気もしますが、『いる』のと『いない』のとでは、もちろん違います。

まずは、両方のヴィジュアルを並べてみましょう。


ことさら A(アバターのいない空間)に違和感があるわけでもありませんが、わたしが感じるアバターの利点は2つです。

1:いないと寂しい
2:大きさの目安になる



順番に、もう少し詳しく書いてみます。

1:いないと寂しい
ふだん、リアルにわたしたちが見ている光景にアバターはいません。
ですから、その意味では、むしろいない方が現実的とも言えるのですが、だからこそ余計にさびしく感じるのかもしれませんね。
画面に『誰もいない』と、なんだかとっても孤独な気がします。


2:大きさの目安になる
アバターがいなくても、理性的に大きさを感じることはできますが、アバターがいると空間に対する印象が直感的になります。
たとえば、画面真ん中の花束は、設定としてはずいぶん大きなものですが、アバターがいる方が、その大きさがより強く感じられます。

そして、おもしろいのは、実際の画像の大きさが極めて小さいことです。
実は、その画像は800X800ピクセルくらいしかありません。
これは、印刷データとして使用した場合には、切手くらいの大きさです。
つまり、メタバースは『ミクロな世界』を大きく見せる仕掛けとも言えるでしょう。

そのことを強調するために、以下のような合成画像をつくってみました。
空間がバカデカくなったとも言えますが、印象としては人間が小さくなった感じですね。
一旦、『アバターが大きさの目安になる』と書きましたが、空間が自然であれば、人間の方が小さくなった印象になります。


その原理を利用すれば、たとえば人間以外のアバターになることだってできますね。
昨日の記事からの流れで言えば、猫のアバターでこの空間に入ってもいい気がします。
そんな合成画像もつくってみました。

あるいは、鳥とか。
自由に空を飛べるなんて、それこそアバターの特権ではないでしょうか?

新しい時代には、新しい発想で向かった方が楽しいですね。


早く行きたいなら一人で行け
遠くへ行きたいならみんなで行け

みんなで行くには進め方が大切ですね 😊

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