少数派は集まることで独りではなくなる
さて、「多数決が民主主義だ」とよく聞いた。
子供の頃にこんな遊びがあった。一人が「この中にバカがいまーす。誰でしょう?」と。そしてみんなで一斉に私を指差す。いじめられはしてないだけど、人間の不思議な性質を見た気がしました。
みんなが間違える問題に一人だけ正解したから。
余談ですが。大学院では論理数学の試験問題の中に難問が混ざっていた。それは普通の方法では全ての式が消えてしまって何もできなくなる、特殊な難問だった。私は他のくだらない問題に目もくれず、その難問だけを解いた。あとになって試験の教授はこんなことを言った。「ごめんごめん、出題範囲外の難しい問題が入ってた。その問題は無効にします。それ以外が解けていれば満点ですので、ご安心ください」と。私は0点になった。
担当教授だけは私をいつもかばってくれました。
今も昔も変わらない。でも、ちょっと変わってきた。
少数派という光。
独りは今でもどうしょうもないけど、少数派は集まることで独りではなくなる。独りなのか、少数なのかは、決定的に違う。
そして少数派が発した光は、独りをも照らす。
多くの人たちは多数に従うようにプログラムされている。それは何度も見てきた。大多数はロボットのように確実に一斉に動く、その具体的な場面を見てきた。そのとき残ってふみつぶされた人を助ける人というのは珍しかったけど、今は増えてきた。自分で考える人が増えてきた。
「たくさんの少数派」という新しい多数ができるかもしれない。
それには人の心が育たなければ。
どうなるのかしら。