神崎シノア

ひとりごと。

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最近の記事

潮風にふれて 〜3泊4日の四国旅行〜

3泊4日の四国旅行に行ってきました。 本当は、4泊5日の予定でしたが、台風のために一日ふっとびました。徳島にいけませんでした。残念。 旅行の記録を残しておくのはちょっと大変ですけど、あとで見返すと楽しいので、頑張ってみます。 0日目 9/1 大阪府発大阪から高知まで夜行バスに乗ります。 大阪梅田、阪急三番街のバスターミナルから乗車しました。 夜行バスって、居心地がそこまで良くない代わりに、移動と睡眠を兼ねられるうえに、安いので、好きです。わたしは基本どこでも寝られます(

    • 私の話をさせてください

      今回は、私の話ばかりします。 最近のはなしと、昔のはなしと、ちょっと昔のはなし。 どれもあまり気持ちのいい話ではないから、読みたい分だけ読んでください。 そして、その先で、私のことを嫌いになっても構いません。 でもどうか、私のことを知ってください。わがままだけど。 >最近のはなし 2024年1月から大学の精神科に通っている。5ヶ月経った。びっくり。 主訴は気分の落ち込みと、睡眠の乱れだった。 特に病名を告げられてはおらず、軽めの抗うつ剤と睡眠薬を処方されて、時々飲み忘れ

      • 別れなど、少年少女に恐れなし。

        私の最も敬愛する創作者、カンザキイオリのライブ「別れなど、少年少女に恐れなし」に参戦してきた。 ライブが終わって2時間も経つのに、私の脳の中で混濁とした言葉たちが弱々しく浮遊している。うまく、うまく思い出せない。 でも私は言語化したい。 それが義務であるように感じたから。 彼の生き写しのような言葉を浴びたくせに、感じたことを「言葉にできない」などと言って投げ出す人間にはなりたくない。 これは礼儀である。 彼のうたう歌は、私にとっては人生の欠片である。 少なくともこの6年間

        • 終わって、始まって

          私の高校演劇が終わった。 なにか大きなものが終わった後というのは、なぜこんなにも実感が湧かないのだろう。 終わりたくなかった。 休部していた高三の一年間も、私は結局、演劇のことばかり考えていた。みんなと演劇がしたくて、早く舞台に立ちたくて、たまらなかった。 同学年の、大学進学先を決めた友達が演劇をやっている姿を見ると、どういうわけか、自分が情けなくなった。 お前は本当に、何をやっているのか。 それが本当にやりたいことか。 冗談でなく深層部分から声がした。 受験勉強が嫌いだ

        潮風にふれて 〜3泊4日の四国旅行〜

          卒業、何かからの

          高校を卒業しました。 中高一貫の学校に通っていたので、6年間おなじ学び舎に通い続けたことになります。 思い返せば、本当に素敵な6年間だったと思います。周りの人たちに恵まれた、幸せな日々でした。 実は、中学受験でとある公立(?)の中学に落ちました。そのため、私立のこの学校に入学しました。つまり最初は、必ずしも喜ばしい入学ではありませんでした。 中学の間は、音楽と部活とラジオに囲まれた生活でした。 始発で学校に行って、朝練でバスケをして、ほどほどに勉強をして、放課後は部活

          卒業、何かからの

          夜は明けるか

          受験生が、終わった。 終わった感触はなく、そしていつ始まったのかもよく分かっていない。 でも、とりあえず終わったらしい。  東京大学を受験すると決めたのは、高一だった。それは強い決意ではなく、まあ、狙えるのならやってみよう、という程度だった。 共通テストが終わり、いざ前期試験の出願の時になって、なんだかんだ東大受験までやってきた自分に驚いた。心のどこかで、途中で諦める気がしていたのだ。 正直受かったかどうかは分からない。 でも最善は尽くしたはずで、ここから私に出来るこ

          夜は明けるか

          客観的で、没入的な呪い

          所属している劇団の公演を観にいった。 おかしな話である。所属している劇団なら、普通、運営にまわる。 ただ、私は現在お休みをいただいていて、どうしても今回の作品には携われなかった。 その理由は大学受験。 感想としては、自分でももうよくわからなかった。外からの目が欲しいだろう、と思い通し稽古を2回も観にいったにもかかわらず、号泣した。 劇場という単純で、そうではないハコの魔法を知った。 舞台技術の、繊細で、ただただ美しい表現に息を呑んだ。ゆっくりと確実ににじみでる感情の交

          客観的で、没入的な呪い

          1ヶ月遅れの、2022年度の抱負

          過去の投稿を見返していて、そういえば、今年の抱負というものを書いてなかったことに気づいた。 今更なのかもしれないが、五月病対策として、この先1年について思考を巡らせるのも悪くはないかもしれない。 とはいっても、(自称)進学校に通っている高校三年生である私が、今年度の抱負として掲げることは一つしかない。 志望大学に合格すること。 これにつきる。 何度かこのnoteでも触れているが、私の志望大学は、日本最難関と名高い東京大学である。 合格して、来年度には東大生として生活

          1ヶ月遅れの、2022年度の抱負

          失われた少年少女たちへ。

          ▲amazarashiに逢いにいった、という話。 amazarashiという、私が敬愛するバンドのライブに参戦してきました。 今回で2回目。 初めて行った「BOYCOTT」ツアーは、私の予想や期待、その他amazarashiにかけていた想い全てを凌駕され、感想をつづるに至らなかった。それが唯一の後悔でした。 なので、今回はなんとしてでも、その日のうちに綴りたかったのです。 ▲公演中に思ったことをつらつらと。 これはamzに限らずですが、ライブに行くとその音圧にびっく

          失われた少年少女たちへ。

          思考整理。①

          私の学びの終着点は、どこにあるのだろうか。それを考えることが多くなった。 私は、『言葉にならない』という言葉に酷く苦しんできたと思う。 他人から言われることもそうだが、自分で「言葉にならない」と言ってしまった時、非常に後悔の念を覚える。 他人から言われる時は、私の創作物への感想であることが多い。 「言葉にならないほどよかったよ」 「いやーエモかった」 私はその詳細を貪欲に求めたい。 「言葉にならない」という言葉の軽さ。 私は言葉にならないことを言葉にしてきたつもりな

          思考整理。①

          間違いか正解か

          もうあと数日だ。 私が演劇から離れる日まで。 ありがとうございました。愛しています。 演劇にはそう言いたい。 大学でも続けたいとは思っているが、この先のことは分からない。 それに、この一時のみかもしれない愛情が、思ったよりもくすぐったい。 だから、まるで今生の別れかのような、感謝と敬愛の言葉を述べたい。 演劇に学んだこと、それは現状において、ないのだと思う。 私には、演技スキルも脚本術もなにもない。 まだまだ演劇において挑戦したいことが残っている。やり尽くしたなんて、

          間違いか正解か

          思考

          演劇の大会が終了した。 結果から言うと、私の学校は二つの賞をいただいた。 しかし、目標にしていた全道大会には出場ならず。 正直言うと、悔しい。いくらか部員の様子は落ち着いていたし、顧問もある方向の納得をしていた。が、私はまだ悔しさを拭いきれない。結果が欲しい、その思いに特別なこだわりがあったからだ。 負けず嫌いで完璧主義な私は、こういったことにひどく執着する。 そもそも芸術に優劣をつけるのがどうの……といった話は二番煎じすぎるのでやめておくが、賞が付く以上、自分の頑

          私が私でなければならない理由。

          二年前の私は、演劇がこんなにも自分にとって大切なものになるなんて思いもしなかったのだろうと思うと、本当に運命とは奇妙なものだとつくづく感じる。 たとえば、まだ演劇がしたいとか。 たとえば、みんなで全道に行きたいとか。 かける時間が長くなればなるほど、どうしても愛情が広がっていく。その愛情が終わりという儚げな輪郭を浮かび上がらせるから、もっともっと、その終わりという無常に反抗したくなる。 気が付けば部長という席に座っていた。いや、座っていたのかもよくわからないが。部長と

          私が私でなければならない理由。

          令和二年。

          2020年の振り返りはやくも2020年が終わる。内心驚いている。 早いとも、速いとも思わなかった2020年だが、何故か漠然とはやいと思ってしまう。それが年の瀬というやつなのだろうか。 閏年だとか東京オリンピックだとか好きなアーティストの10周年だとか、そんなことの前に「特別な年」になることを、過去が叫んでいたかのような年になってしまった。誰が予想したであろう。ちょうど1年前の私たちは、2020年というビッグイヤーを勝手に想像しては勝手に期待を寄せていたのである。 ここから

          令和二年。

          近況という言葉で片付けたくないほど 素敵で苦くて熱くて寒い最近。

          とある文学賞で入賞かなり限定された賞ではあるけれど、入賞。 実は個人的にはかなり攻めた作品だった。 何故かというと、初の試みとして、「三人称視点」であり「自分の個性をできるだけ抑えた」作品にしたからだ。今までは、すべて語り口が一人称。難しい言葉を遣いがち。凝りに凝ったが故に伝わりにくい情景描写。読者に伝えたいことを最大限濁す。もちろんそれらの作風には私なりの思いがあるのだが、そういった今までの自分をふりきった作品だった。そしてそれが評価された、というのが何よりも嬉しい。 …

          近況という言葉で片付けたくないほど 素敵で苦くて熱くて寒い最近。

          報われること、報われないこと。

          演劇の大会の結果が出た。 私はここのところずっと、その大会のために生き、その大会で結果を残すことを心から望んでいた。 優良賞。 正直未だに信じられない。最優秀賞……転んでも優秀賞だろう。そう思っていたから。きっと何かの間違いだ。心のどこかではそう思っている。それでも、結果は結果として、もう世の中に放たれてしまっている。 私はとてつもない愚か者だから、「私のせいかもしれない」、とそう思ってしまう節がある。演劇はあくまで作品。多分、誰かひとりのせいではないのに、そうやって一人

          報われること、報われないこと。