私が私でなければならない理由。
二年前の私は、演劇がこんなにも自分にとって大切なものになるなんて思いもしなかったのだろうと思うと、本当に運命とは奇妙なものだとつくづく感じる。
たとえば、まだ演劇がしたいとか。
たとえば、みんなで全道に行きたいとか。
かける時間が長くなればなるほど、どうしても愛情が広がっていく。その愛情が終わりという儚げな輪郭を浮かび上がらせるから、もっともっと、その終わりという無常に反抗したくなる。
気が付けば部長という席に座っていた。いや、座っていたのかもよくわからないが。部長とはなんだ、と問い続けた。私は果たして「長」なのか。いったい、部活という集団のために何を為しているのか。
最近、ようやく答えが出た。
部長という役回り。それは部活のことを誰よりも「考える」役職である。時には自分を捨てなければならない。私はただ、その塩梅が下手で自分を見失いそうになっただけなのだ、と。
誰よりも考えているからこそ、部活が好きになって、離れられなくなってしまう。もし支部大会を抜けることが出来なかったら、ここで私の高校演劇人生は終わってしまう。そう思うと、一回一回の稽古が惜しく、過ぎてほしくない時間だと脳が指示してくれてしまう。厄介だ、非常に。
私の周りにいる人間は素敵すぎる。
困るのだ。素敵すぎる。
演劇も好きだが、困ったことに演劇部も同じくらい好きだ。
部員に、迷惑をかけてしまった先輩方に、そして顧問に。作品と結果で、恩返しがしたい。もちろん結果がすべてではない。でも私は他人に認められてほしいのだ。私たちが悩みと思考と生き様を賭してつくった作品なのだから。
私が私でなければならない理由。
部長であり、役者であり、受験生になろうとしている高2であり、もがきつづけるたった一人の人間である、この私が、
明日だけは、舞台の上で輝く。
私が私でなければならない理由を他人に押し付けられる数少ない瞬間なのだ。
ああ、舞台の上で世界が私を呼んでいる。
行かなきゃ。
演劇がただ楽しいから。
私は仲間と楽しむだけ。怖くない。
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