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noteを再開します。

久々に自分のことを書いてみようと思う。

以前私は、強い承認欲求を持て余していた。今はそうではない、とは言い切れないが。
自分を滑稽に見せて周りの気を引こうと、下品な冗談をTwitterなどに書き散らしていた。
20代も半ばに差し掛かると内容の加害性も認識するようになり、そうした言動はしなくなっていったものの、いざ選挙への出馬を目前とした時期にそれら過去の言動が多くの批判を浴びることとなり、周りの方々にも大変な迷惑をかける結果になってしまった。
承認欲求の赴くままに身を任せる愚かさを、多くの方を巻き込みながら改めて痛感することになった。

この件についての謝罪声明以降、表立っての発言は控えていたが、また少しずつ思うことを書いていくことにした。
責任ある大人でありたいからだ。

この社会の“責任者”は、誰だろうか?
まず思いつくのは、大きな権力を持つ人だろう。行政機構や政治家、大資本家、大会社の経営者など、大きく社会に影響する力を持つ組織や人は、社会の在り方への責任も大きい。
しかし社会を構成する私たち一人ひとりもまた、この社会の“責任者”なのだと考えている。
何に関心を向け、何をして働くか。日々の買い物で何を選ぶか。選挙権や被選挙権などの参政権をどう行使するか。
そうした一挙手一投足が、この社会の在り方を作っていく。
その自覚を持ち、未成年者などのより社会に影響する権限を持たされていない人を失望させない程度には、責任ある大人でありたいと考えている。

未成年者として生きた20年間、大学で学術研究に従事した3年間、東京で働いた3年間、政党の支部長を務めた2年間、そしてふるさとの地方で働いている今。
30年と少し生きてきた中で、この社会の在り方、仕組みに課題を感じる機会は無数にあった。逆に感心する機会も無数にあった。そしてこれからも、どちらの機会も無数にあるだろう。
そうした気づきを自分の胸の内に秘めるだけでなく共有していくことで、より良い社会の在り方が作られることに繋がるかもしれない。
だからまた少しずつ、ここに書いていこうと思う。

世のため人のため、なんて他人事ではない。
自分事として、この社会に向き合い続けたい。

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