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#10好きなものに縛られる

 始めたばかりのnoteで、まずは毎週続けてみようと思っていたのに、先週は書けなかった。というか、書かなかった。朝起きたときに、(あ~書かなきゃ・・・)と思ってしまったからだ。自分が好きで始めて、なんとなく続けていたのに、いつのまにか『やらなきゃ』になっていた。別にやらなきゃいけないことではないのに、やらなきゃと思ってしまうと、義務になってしまうと、嫌なことみたいになってしまう。だから、おもいきって休憩したのだ。
 これと同じような気持ちになるのが、読書とドラマである。あと、日記。どれも大好きでしょっちゅう図書館にいくし、予約をするし、電子書籍は漫画も小説もためまくっている。我が家のブルーレイの容量は半分以上が私のドラマと映画だ。日記は子供のころから続けているが、さかのぼって書きたくても、思い出せないくらい間が空いてしまう。忙しい日が少し続くと、ものすごくたまってしまって、『やらなきゃ』になってしまう。
 人生を楽しくさせるための趣味娯楽なのに、どうして追い込まれているのか。苦しめられているのか。そういうときはおもいきっていったんやめる。未視聴の新ドラマをいくつか消した。読んでないままの本をそのまま返した。またいつか、「あれ観たかったやつじゃん、観たい」となるまでしばしの別れだ。
 なぜ、ここ最近余裕がなかったかというと、子のアデノウイルスと、例の訃報と、仕事が繁忙期に入りつつあるのに欠勤が続いたツケがきて、とにかく消耗していた。そして冬の始まり。眠い。とにかく朝眠いし夜も眠い。私は暗くなったら眠りたいし、明るくなるまで眠っておきたいのだ。生まれる時代を間違えているような体質なのだ。睡眠時間は絶対に削れない。高校生のころなんて、いい年して赤ちゃんくらいたくさん寝ているものだから、なにか病気を疑われ親に病院に連れていかれた。もちろん、異常なしの健康優良児だ。考えてみれば、美容師時代や、子が新生児期など、どうやって乗り越えたのか。夫に言わせれば、『やばかった』らしく、二人目について全く希望しなかったのはそれが大きな理由だと思う。『無理だと思うよ』と言っていた。私には、という意味と、俺的にも、ということだろう。娘がいてくれるのですでに十二分に幸せだから、不満はない。
 「時間がない」は私の嫌いな言葉だし、無駄な時間がない日々も好きではない。やらないといけないことと、別にやらなくてもいいことのバランスがくずれると体調をこわす。忙しすぎても死ぬし、暇すぎても死ぬのだ。

 なにはともあれ、こうしてnoteには戻ってこれた。冬はまだ長いし、のびのびと生きていきたい。

本日はこれにて。




 

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