就活における「個性」について

こんにちは。note初投稿です。

最近就活進めながら、なんとなく考えていたことを文字に起こしたいなと思い記事を書くことにしました。

就活を進めていると自分の「個性」について問われることがすごく多いなと感じます。企業側からすると、その企業とマッチしている「個性」を持っている人材が欲しいということなのでしょう。

でも、当の就活生からすると、自分の「個性」とか聞かれても正直よく分からないんですよね。大きな実績を人生で上げてきたわけでもないし、明確に優れた能力を持っているわけでもない。人に自慢できるような「個性」なんて全然ない。どうすればいいん?って感じです。

そこで、就活でよく言われる「自己分析」をしてみるわけです。ところが、正直に自分のことを振り返ってみても、自分のダメなところだけ沢山見つかって良いところなんて全然見つからない。高校の先輩と比べて自分は全然行動力がないとか、大学の同級生と比べて自分は全然コミュ力がないとかそんなことばっか頭に浮かんできて嫌な気分になるわけです。

で、結局「自己分析」がしんどくなって辞める。そしたら結局何話せばいいのってなって、結局就活サイトに書かれてた「企業に受ける強み」を適当に書くor話すことになるわけです。

でも、これってなんか変だなあと最近思っています。理由は主に二つあります。(就活生並感)

一つ目は、自分に全くいいところがない、なんてことはないだろって思うからですね。

自分の周りにいる人で、全くいいところがないなんて人いますかね?正直僕はそんな人一人も知らないです。就活に役に立つかどうかはさておき、尊敬できる点が一つもない人を僕は見たことがありません。

そうなったら、自分に何一ついいところがないってことはありえなくないですか?他人から見ると結構すごいことなのに、自分では当たり前に感じてるから、自分では気付けない強みとかって沢山あるんだろうなと思います。

二つ目は、自分から見てダメに見えるところとか、なんなら世間的にも悪い点とされてるところだって、時と場合が異なれば強みになり得るなって思うからですね。

歴史について勉強してると、よくとんでもない英雄が出てくるじゃないですか。あの人達って確かに滅茶苦茶すごい事してるし、天才だなあとは思うんですが、一方でこんな感想抱く人も多くないですか?
「もしこいつらが現代社会に生きてきたとしても絶対適合できないだろ…」
みたいな。

今僕たちが持っている、人の個性に対する良し悪しの判断基準って高々ここ30年くらいの日本の価値観でしかない。これから社会がどうなるかなんて誰にも分かんないし、そのときどんな人が求められるかも分からない。だから、結局フラットに自分の個性について捉えた方がいいんだろうなって感じです。自分が思う自分のダメなところとかも、狭い価値観の中でそれをダメだと判断しているに過ぎない気がするって事です。

全然話纏まらんかった…。
本当はトルコに旅行してきた話を書きたかったんですが、なぜかこんな文章を書いていました。次回はトルコ旅行について書きたいと思います。

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