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モノを売る時代から「モノ」を売る時代へ

モノを売る時代

 高度経済成長期にイケイケドンドンで大量にものを作って売る時代。必要なもの、役に立つものが世の中になかった時代、それほど意義を持たずに作ったら作っただけ売れていたモノがあふれている。

 今で言えば、マスクなどがそうなのかもしれない。生理的に必要であると一時的に売れるがモノがあふれるとストップする。みんな転売などで稼ぐため大量購入して売れずに困っている人たちはここにいる。

コトを売る時代

 モノはもう売れなくなっている。ミニマリストの出現やシェアリングサービスが一般的になり、モノではなく体験を売るように最近はシフトしている・・・らしい。

 今で言えばネットフリックスなんかがそれにあたる。自宅でも満足できる体験、言うならば暇つぶしが定額で購入できる・・・らしい

 しかしながら・・・

実際、いろんな本を読んだりビジネス書をあさってみてもコトを売る時代への変容と言われているが、本当にモノが売れなくなるのだろうか?と釈然としなかった自分がいる・・・

意義のある「モノ」を売る時代へ

 私は釈然としないところはどこにあるのか?と考えていた。やはりいいモノにはひかれるし車や時計もほしいと私は思う。

「お茶を飲む」という行動に関して、鉄瓶があり、急須があり、ポットがあり、ペットボトルがある。

 より便利なものが存在するが、これはモノを売っていても意味合いが違うのでは?と感じる。消費するものなのか、意義のある「モノ」なのか。

 気軽に飲める本格的なお茶もペットボトルを選ぶ人がほとんどであるが、実は日本人は古来からワビサビをしっていて、わざわざ鉄瓶を選ぶ人もいるのだ。

 巷で流行っているアウトドアのギアだって、わざわざ不便な方向に向かっている。そして無人島で暮らすテレビがはやるのはなぜなのか。

 便利になりすぎた世の中では、不便であることに対して意味を感じ、体験したいと思うのである。非現実を買うのである。

 大量生産品に価格で争っても勝てない。そんなことは大企業に任せればよい。

 零細中小企業にも勝機はある。零細であるからこそできる意義を売れる強みがある。消費するものばかりでなく、よりよい「モノ」を長く使うことこそ持続可能と言えるし、末長く生き残れる。

 モノが売れないのではない。存在意義のある「モノ」は売れるのだ。そう考えてホッとするわけである。

 

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