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傷つきたくないなら、人を傷つけてはいけない


24歳にしてこの当たり前の事実を学んだ。
情けない。


私は、大事な人を傷つけた。

相手がきっとショックを受けてしまうだろうと分かっていながら、自分の感情に任せて、傷つけるようなことを言った。

確かに私も何度も傷つけられた。
だから私も傷つけていいと思った。
事実だから言ってもいいと思った。
関係を改善するためなら言ってもいいと思った。

いや、もちろんそんなこと思ってはいなかったはずだが、言ってしまったという事実がある以上
そう思っていたと言わざるを得ない。

傷つけていいと思っていたから言葉になったのだ。
事実なら、お互いのためになることなら
なんでも言っていいと思っていたから
言葉になったのだ。

思ってることは、言葉で、行動で表れる


傷つけて初めて、人を傷つけてはいけないんだと知った。もう遅いのに。


そして誰かを傷つけることは、自分も傷つける事なんだと知った。

ずっと言いたくてたまらなかったはずなのに、
それを言ったあと、
「は〜言いたい事が言えてスッキリ」
なんて少しも思わなかった。


「どうしてあんなこと言ってしまったんだろう。こんなに傷つけて苦しませるくらいなら私が我慢すれば良かった。」

と後悔という言葉なんかじゃ言い表せないほどの後悔をした。

でもそれに、相手を傷つけてからでしか
気づくことができなかった。

私は相手を傷つけることで自分を責め、
自分も傷つけた。自分も苦しめた。

私が相手に傷つけられたとき、
絶望し、心が痛んだ。
傷つけられる苦しさをよく分かっていたはずなのに、私は相手に同じことをした。

人を傷つけてはいけない。
そんなこと、痛い目を見なくとも分からなければいけないことだったのに。


反省しても、後悔しても、
相手の心は完全には戻らない。

それは何度も傷ついたことのある
自分が一番よく分かっている。

わたしが相手に傷つけられたとき、
どれだけ突き放しても
その人はずっと私のそばにいてくれた。
ずっと私に、言葉で、行動で
謝罪と反省を伝えてくれた。

だから私は、傷ついた過去の自分を捨てて
この人の今の行動と、未来に目を向ける自分になろうと思うことができた。


だから私もこれからの人生の中で、
言葉で、行動で、示していくしかない。
もう二度と同じ思いをさせないように、一生傷つけた事実を忘れずに努力をしていくしかない。

人を傷つけるとはそれくらい重いことだ。

分かっていたはずなのに。
分かっていた気になっていただけだった。

わたしは、あまりにも未熟だ。


してもらったことに目を向けず、されたことばかりに敏感になっていたのかもしれない。



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