ないものねだりより手札を知れ

最近自分に言い聞かせている。
「もうないものねだりしても仕方ない。もうカードは配られた。今ある手札で勝負するしかない」

こんな自分でも、向いている事がきっとあるはずと信じるしかない。

とはいえ僕は困っていた。
「いや俺に得意な事なんかねーわ!!!」

自分はとにかく普通で、特徴のない男だと思っているので、自分の手札は何なのか全く分からない。
撮りたてのポラロイド写真のように、配られた手札には何も映っていなくて、散々振ったり息を吹きかけたりしてようやく薄っすら見えたと思ったらしょうもない手札なのである。



…と書いてみたのが10日くらい前。
この後の文章が思いつかなくて一旦下書き保存して放っておいたんだけど…
読み返してみると恥ずかしくてたまらない文章だな。
「普通」で、「特徴のない」…だって。そんなこと言ったって、その中から自分の持ち味を磨けってことが言いたいんでしょうよ。アホか。

自分にとっては当たり前のことが、他人から見た時に得意なこと。
自分視点では「できて当然」になっているから得意だと思わないんだろ。ゲシュタルト崩壊と同じというか。
ずっと内省ばかりしていると自分の認知が歪むので、自分自身をどこかにアウトプットして観察。
たぶんそんなところだろう。

たぶん就活した人とかはエントリーシート書くときに考えたりしたんだろうけどな。やってないな。
自分を出すのはずかしいよなぁ〜。なんとかしなきゃなぁ。

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