エネルギとは仕事をする能力なり

 エネルギッシュな人と言えば、仕事をバリバリこなすイメージですが、物理的にも「仕事」の意味は違えど、それは正しいものとなっています。

 でも人間の場合、エネルギッシュに見えなくても、仕事はやたら早かったり、またエネルギッシュに仕事をしているアピールだけして、実質ほとんど何も貢献していないケースもあり、その評価はなかなか難しいわけです。

 今まで「熱」と「原子、分子」について長々と語ってきたわけですが、今日はエネルギについてです。

 前回の記事は、

 今日の「エネルギ」という言葉は、1807年にトマス・ヤングが初めて用いた言葉です。

 ギリシア語の"energeia"という「仕事」を意味する言葉が語源です。つまり、ヤングはこの当時から、

「エネルギとは仕事をなしうる能力のことである」

という定義をすでに与えていました。

 それまではどうだったかと言うと、話はガリレオまで遡ります。

 ガリレオは18歳の時、ピサの教会で、長い鎖に吊り下げられていたランプが左右にゆれるのを見て、脈拍でその時間を測り、「振り子の等時性」を発見したという逸話が残されています。

 振り子はエネルギの観点から言うと、「位置エネルギ」と「運動エネルギ」が交互に入れ替わっているのが、よくわかるものです。彼も、振り子の左右に振れる高さが同じである事から、

運動には何か保存される量がある

ということに気が付いていたようです。

 またガリレオといえば、ピサの斜塔で

「物は重さに関係無く同じ速さで落ちる」

という事を証明したという逸話も有名ですが、

(この話はどうやら作り話のようですが)

「重いものの方が落ちた時の衝撃が大きい」

ということに注目したのはライプニッツでした。

 ライプニッツは、はじめ「重さ」と「高さ」に注目していましたが、後に「落ちる速さ」にも注目しました。そして、この衝撃に関する量として、「活力」という量を「重さ」と「速さ」を使って、現在の「運動エネルギ」と同じ形の

(1/2)mv^2

を定義しました。

 さらに17世紀後半には、ホイヘンスが衝突に関する研究を行って、

「二つの硬い球が衝突するとき、それぞれの球の活力の和が衝突の前後で変わらない」

という結論に達しています。これは、「運動量」の概念に近いものになります。

 実はこの頃、衝突などにより「運動の変化の前後で保存される量」が、現在の「運動量」か「運動エネルギ」かという論争がありました。ニュートンは、現在の「運動量保存則」にあたる法則を、1668年に唱えています。

 1686年にライプニッツが「活量」を定義すると、1687年にニュートンは、彼の主著「自然哲学の数学的原理(Principia)」で「運動の法則」をまとめあげます。そこで「慣性の法則」として、現在の「運動量保存則」を採用しています。

 結局この論争は、1743年、ダランベールの著書「力学要論(Traite de dynamique)」の中で、

「距離と時間のどちらの面から見るかの違いである」

という指摘がなされて、この論争は解決しました。

(注:実際には、弾性衝突の時は運動量もエネルギも両方保存されますが、非弾性衝突ではエネルギは保存されないため、ダランベールのこの指摘は正確ではありません。)

 それから「活力」の考え方がだんだん受け入れられ、19世紀初頭、ラザール・カルノー(「カルノーサイクル」を発明したサディ・カルノーの父親)が、

「高いところにある物体は、活力を生み出す能力がある」

として、「隠れた活力」を定義しました。これは、現在の「ポテンシャルエネルギ」に相当するものです。

 こうして、力よりも次元を高めて抽象化した「エネルギ」の概念が出来あがって行き、その後、あらゆる物理現象を「エネルギ変換」という観点で捉える礎(すなわち熱力学の基礎)が、固められたわけです。

 次からは、いよいよ熱力学に入ります。

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