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完璧な三日坊主


 それは、ある年の元旦に、僕たちが都心にある由緒正しい神社で初詣をした後で、長い参道の砂利を踏み締めながら並んで歩いていたときのことだった。

「この世界に、完璧なものってあるのかな」

 彼女が唐突に尋ねた。

「それは『完璧な』の定義によるんじゃないかな」

 僕は、質問の意図を図りかねて、無難な答えを返した。

「…つまり、『完璧な』の意味をどうとらえるかで、答えが変わるってことね」

 しばらく沈黙が続いた。長い参道を歩いているうちに僕は、社会人になった年に3か月だけ同居していた3歳年下の妹のことを思い出していた。大学生になったら実家を出たいと思っていた妹は、アパート代を浮かせたいと言って、5月の連休明けに、社会人1年目の僕のアパートの一室に転がり込んできた。そして、同居して3か月後には、ルームシェアするクラスメイトを見つけて引っ越していった。引っ越し荷物は、衣服を除けば段ボール箱1つ程度の身軽なものだった。

「『完璧なもの』について、妹の話をしてもいいかな」

 ちょうど参道を抜けたところで、僕が彼女に尋ねた。

「うん」

 新しいロングブーツで人ごみの中を歩くのに疲れたのか、彼女は短く答えた。

「僕の妹は、いつでも完璧な三日坊主をやってのけるんだ。2日と20時間でもなく、3日と翌朝までというのでもなく、いつでもちょうど3日間、つまり72時間」

 僕を見る彼女の眼は、話の続きを促していた。

「もちろん、世の中には、華麗な三日坊主とか、素敵な三日坊主をやってのける人がいないとも限らないけど、とにかく、妹のはいつでも完璧な三日坊主だったんだ。僕が知る限りで最後の三日坊主が実現したのは、同居してすぐに迎えた夏休みのことだった。妹は、どういうわけか立秋の日の朝にヨーグルト健康法を思い立ったらしく、その日のランチから毎食、様々な種類のヨーグルトを大量に食べ始めたんだ。手近なブルガリアヨーグルトに始まったその試みは、半生ヨーグルト、完熟ヨーグルト、ブルーベリー風味と続き、夕刻には、どこで買ったのか、ヤギの乳ヨーグルト、羊の乳ヨーグルトが加わっていたことを覚えてる」

僕は続けた。

「そして、翌日の昼前には、手に入る限りの種類のヨーグルトが大量に宅配されてきたんだ。暑い中、妹のために仕事が増えた配送係の男性が気の毒だったよ。おかげで、2人分の食料と僕が飲むビールを冷やすはずの大型冷蔵庫は、様々なヨーグルトで埋め尽くされてしまったんだ」

 彼女はストールの形を直しながら、聞いてるよ、という顔を僕に向けた。

「妹は、3日後の早めのランチに、ヘッドフォンでアリアナ・グランデを聴きながら、チリ産岩塩入りヨーグルトを大きめのスプーンで食べていたんだけど、その途中で急にスプーンの動きを止めて、『なんか、飽きたな』の一言で、ヨーグルト健康法は唐突に終わったんだ。時計を見たら、ちょうど12時だった。それで、食卓には食べかけのチリ産岩塩入りヨーグルトが、ポツンと取り残され、冷蔵庫は、様々な種類の大量のヨーグルトに占領されたままになったんだ」

 彼女は、何か言いたそうに唇をちょっと動かして、元に戻した。

「つまり、そういうことさ」

 と僕は言った。

「とにかく、妹は、何かを思い立つと、それにばかり没頭する生活を始めるんだけど、ちょうど3日間、つまり72時間経った時に決まって飽きてしまうのさ」

「それが、妹さんの三日坊主の完璧さっていうわけ?」

「そういうこと。僕の定義する『完璧な』とは、そういうことさ」

「完璧な三日坊主ね」

「うん。完璧な三日坊主」

 僕たちの間に、また沈黙が生まれた。駅から神社に向かう人波は、途切れることなく続いていた。

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