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並列関係に見る語り手の認識

 電車のドアが閉まる時に、「テアシニモツカサ オヒキクダサイ」とアナウンスする駅があった。もちろん、入口付近の乗客に対して、閉じるドアに挟まれないよう注意をうながす内容だが、アナウンスをしている駅員さんにとっては、「手」「足」「荷物」「傘」が対等な並列関係で把握されているという点に面白味を感じた。これらの概念が並列関係で認識される場面は、そう多くないはずである。

 「並列」と言えば、平松愛理の「部屋とYシャツと私」を初めて聞いたときには、違和感があった。

 いつも磨いていたい対象として、「部屋」と「Yシャツ」に対して「私」が並列関係にあるからだ。「人格の物質化」などという大げさな概念が一瞬、浮かんだものだ。

 実は、記憶を辿れば、人格を物質化する歌への違和感は、すでに少年期にあった。

 小坂明子の「あなた」である。 

 同世代の方はご記憶かと思うが「もしも私が、家を建てたなら」という歌いだしで、大手ハウスメーカのコマ―シャルに使われていたあの歌である。

 念のため、歌詞を引用すると、

もしも私が家を建てたなら 小さな家を建てたでしょう
大きな窓と小さなドアーと 部屋には古い暖炉があるのよ
真赤なバラと白いパンジー 子犬の横には
あなた あなた あなたが居て欲しい
それが私の夢だったのよ いとしいあなたは今どこに 

 なんと、ここでは、「大きな窓」と「小さなドア」を備える「小さな家」、部屋の中の「古い暖炉」、「真っ赤なバラ」、「白いパンジー」、「子犬」に対して「あなた」が並列関係に提示されている。

 ここで列挙されているものは、いったい何か? 

 それは、「私の夢」を構成する要素である。

 ここでは、「あなた」という存在が、他の要素とともに並べられていることに、当時、漠然とした違和感があった。

 他の人格が自らの夢を構成する一要素に過ぎないという世界観。これこそがあの違和感の正体であろう。


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