持たせ切り

 電車のシートに座った瞬間に「粗にして野だが卑ではない」というタイトルが頭にいきなり浮かんできた。時代劇映画のタイトルだったような気がするが正体を思い出せず、wikipedia で調べたところ、国鉄総裁だった石田礼助をモデルにした、城山三郎の作品だった。

 国鉄総裁と言われても若い方はピンとこないと思うが、民営化前のJRは日本国有鉄道、略して「国鉄」と呼ばれていたのだ。そのほか、JTの前身が日本専売公社、NTTになったのが日本電信電話公社であり、かつて日本には3つの公社(国営企業)があった。国鉄総裁は、今ならJRの社長ということになる。

 当時、山手線などの国鉄の電車は「国電」と呼ばれていたが、分割民営化に伴ってそのままの名前を使うわけにもいかず、愛称を募集することになった。 選定委員に小林亜星氏がいたと記憶している。そして選定された新しい愛称が「E電」だった。今なら、「iなんとか」の雰囲気に通じる理由があったはずだ。しかし、この愛称は、見事なほどに定着しなかった。聞いたことすらない、という方も多いだろう。何年も前に、新宿駅西口付近の地下道の隅で、管理者の手が回っていない風情の案内板に「E電のりば→」との表示を見つけた際に、思わず声を上げてしまった。あの案内表示は今も残っているだろうか。

 ところで件の石田礼助氏は、タイトルにあるようにユニークな人材だったようで、国鉄時代にすでに民間企業の経営方針を取り入れる試行をしていた。「パブリック・サービス」のひとつの事例として「持たせ切り」を禁止したことが紹介されている。しかしながら、「持たせ切り」を話題にするためには、当時の改札の仕組みを説明する必要があろう。

 電車の改札口には現在、その多くに自動改札機が設置されていて、必要な情報が磁気的に記録された切符を改札ゲートのスリットに挿入すると、処理後の切符が前方から出てくる仕組みになっている。しかし自動改札機の導入以前は、改札口担当の駅員が客から切符を受け取り、専用の鋏で隅を切り欠いてから、また客に切符を返すという業務を行っていた。ラッシュ時には一秒間に2・3人分の切符を処理していたはずだ。その処理能力は名人芸であったし、中には、余裕がある時間帯であれば鉛筆回しのようにクルリと回転させてから鋏を入れるパフォーマンスを見せる駅員もいて、その芸を見るのを密かに楽しみにしていた。

 それで「持たせ切り」というのは、客から切符を受け取らずに、客が切符を持っている状態のまま鋏を入れて切り欠きを作ることを指す。客の指にけがをさせるリスクがあることから禁止されたようだ。この「持たせ切り」の部分を読んで、学生時代のことを思い出した。

 当時私は京王井の頭線を使っていて、渋谷駅を国鉄と井の頭線との乗り換え駅として利用していた。当時の渋谷駅は、国鉄と井の頭線との乗り換えでは、幅が10メートルくらいの長い連絡通路を通ることになるが、ルールなのか慣行なのか、きちんと右側通行が守られていたため、井の頭線の改札付近では、出てくる客の列と入る客の列の境界が、実にきれいなラインとして認識できる状態になっていた。当時の私は、そのラインを見る度に、この曲線の変動する位置を精度よく予測するためには、国鉄と井の頭線の時刻表の他に、いくつかのパラメータがあればいいんだとろうな、などと考えていたものである。

 話を「持たせ切り」に戻そう。井の頭線渋谷駅の改札口にも、例にもれず職人技を持つ駅員がいた。ラッシュ時でも客数が少ない時期にも、改札口に設置された箱状の定位置に立ち、鋏をチャン・チャン・チャンチャカ、チャン・チャン・チャンチャカ と休まず鳴らし続け、時折クルリと回転技を披露していた。

 彼は「持たせ切り」を実践する人であった。ラッシュ時の改札口には乗降客が殺到するため、改札口の駅員には圧倒的な処理能力が要求される。常に鋏をチャカチャカ鳴らしている彼は、朝のラッシュ時には素早い動きでさらに激しく鋏を打ち鳴らし、あたかもビバーチェの曲を指揮する指揮者のようであった。様々な高さにてんでに切符が突き出されてくるのを次々に受け取り、鋏を入れては同じ客の手に返す。左手で返しながら、右手は次の客の切符を「持たせ切り」することもあり、その時にはもう、左手は次の切符を受け取っている...見事な職人技であった。

 毎日のようにその職人技を目の当たりにしているうち、私はある法則性に気付いた。彼は、ある条件を満たす場合にのみ「持たせ切り」をするのだ。

(つづく)

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