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【権力と民衆 私が大切にする候補者の選び方】

今回の選挙でとても勉強になったのは、政党が民衆に何をしようとしているのか、そして、民衆が政治に何を求めているのか、という事である。

政治家は民衆の代弁者であり、民衆は政治家に権限を委ねる事になる。

これは当選した政治家に縛られる事であり、場合によっては大変恐ろしい状況を生み出してしまう。

なので政党や候補者を選ぶという事は、責任をもって選ぶ必要がある。

ある政党のある政策が耳障り良く、とても共感出来る内容であっても、彼らの全体の政策、言動と態度から本当の主張を読み取る必要がある。

彼らがその権力、権限をどこに使いたいのか、権力(政治)と民衆の関係性をどう位置付けたいのか、という事に本質があるからだ。

例えば、個人の感覚や思想を無視して「こうあるべきだ」という価値観を権力側から押しつけて法を制定する、といった事。

この場合、その個人の思想が他の個人を害しているかどうかに関係なく、権力側が決めた価値観に則って全国民が従わなければならない。またその為の教育がなされる。その為に権力を行使するという訳だ。
これは全体主義であり、人種主義(選民思想)でもある。

次にそれとは逆の立場の権力の使い方を見てみよう。

世の中には様々な感覚や思想、価値観があっても良いというスタンスが基本であり、しかし個人を害する思想や価値観は制限し、その事について学んでいく必要がある、という立場だ。
個人を害するとは、例えば差別思想、階級意識、人種主義、性的マイノリティへの差別、搾取構造、などである。

この二つの違いは、人権の制限か、人権の尊重かの違いである。

それは候補者の言動や態度としてもあらわれ、例えば、学びのプロセスを大切にするのか、それとも共感出来ない者は洗脳されていて愚か者だと決めつけるのか、などの違いにあらわれる。

私たちが候補者を選ぶ時、その権力がどこに使われ、権力と民衆がどう位置付けられるのかが、見極める重要なポイントである。

私は、権力を持ちたい者はニつに分かれると思う。

一つは、ある価値観で国民を管理し、統一した価値観によって、全ては法の制定により秩序をもたらすべきと思う者。

もう一つは、秩序を形成する為の基礎となる個人の尊厳を守る為に法を制定する者。

この二つは、同じ権力であっても全くベクトルが別方向のものであり、例え政策が似たようなものだとしても、人々に与える影響は全く異なったものになる。

権力は私たちを守るものにもなれば、破壊するものにもなる。

政党が権力を手にしてしまったら簡単に政策を変えて真反対の政策で国民を縛る事もできるという事である。

大変恐ろしい事なのだ。

だからそこ私たちは、表向きの政策だけでなく、政党や候補者が社会に対してどのようなベクトルで働きかけをしようとしているのかを見極める必要がある。

#政治
#権力
#人権
#尊重

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