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リストラーズ 野村さんが創る世界観

野村さんを見つめている。

初めてリストラーズを知った日の衝撃は今後きっと忘れない。
既にXの投稿に、細切れになりつつも長文を書いたことがある。
いずれnoteに上げることもあると思うが、別の思いを書いてみたい。
 
野村さんと言えば、まず「カワイイ」「女性より女性」「女の子に見えてしまう」「昭和の八重歯アイドルみたい」「おっさんなのに惚れそう」というコメントを見かける。
 
賛成だ。
野村さんが創る「女の子」「女性」の世界。
それはリストラーズに引き釣りこまれる大きな魅力のひとつになっている。
 
しかし、そこに私は彼のストウィックさとでもいうべき音楽への情熱と、
表現者としての真摯な姿勢を感じざるを得ないでいる。

考えてもみてほしい。
現在の彼ではない。まだ20代の頃から、あの世界観を創りだしているのだ。
20代の男性であれば、カッコよくありたい、カッコいいと言われたい、
女の子にモテる雰囲気を持っていたいと望むのがごく普通なのではないか。
時代的に見て、今のコンプライアンス意識が当時あったとは思えないのだ。
 
だが、野村さんは若い男性が自然に望むその思いを踏み超えて、あの世界観を創った。
プロではない彼に、ここまでさせる情熱に驚嘆すべきではないだろうか。
 
動画を見ていると、リストラーズは品のいい笑いを取るのが巧いことに気づく。
爆笑させるようなお笑い担当がいるわけでなく、どのメンバーもクスリ、
或いはフフフと笑いたくなる要素をどこかに醸し出している。
これまで何度、動画を見てニマニマしてしまったことだろう。
と言っても、かつてのドリフターズのような音楽コントグループではない。
(ドリフターズの音楽的実力も認めた上での発言であることはお断りしておく)
理系少年達が一流大学で出会い、卒業後もアカペラグループとして活動しているのだ。
 
だが、「女の子」のように歌い踊り、笑いを取ることは群を抜いている。
幾度、20代当時の野村さんの心境を想像してみても、すんなり納得できない。
「かわいい女の子」「女より女らしい」などと評価を受けることに迷いは
なかったのだろうか。
一曲や二曲ではないのだ。レッテル貼りに至るリスクさえある。
 
ここに野村さんの音楽への本気度、プロ意識にも届く矜持を感じている。
その矜持の高さ、音楽への本気度に恐ろしいほどの情熱を感じている。
 
「かわいい」を創る野村さん、「女の世界」を創る野村さんは、容赦なく
観客を、視聴者を、引き釣りこみにかかってくる。
もちろん、ごく素直に「かわいい」を受けとってもかまわない。
それが彼の目的なのだから。
 
しかし私を本当に引き付けるのは、根底にあるプロ意識に限りなく近いものだ。
本業を持ち、家庭も持ちながら、趣味だと言い切る彼(あるいは彼ら)の
表現者としての情熱なのだ。
 
たぶん今夜も、ワザとなのかと疑いながら、「待つわ」の流し目に撃たれるだろう。
キュートな振り付けを見せつける「センチメンタル・ジャーニー」に悶絶するだろう。
手先だけのダンスと全力笑顔の「なんてったってアイドル」に倒されるだろう。
 
望むところだ。
何度だって倒されていい。
野村さんの表現者としての情熱が、私を倒すのだから。
これからも倒し続けてくださることを切に願っている。
 
< 好きすぎるが止まらない   もっと、もっとぉー >


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