見出し画像

イフを考える @リストラーズ

リストラーズの動画は 楽しくて面白い。

第一印象は なぜ冴えないスーツのおじさん達が並んでいるのだ?!という掴みがある。動画として 最初に この違和感に掴まれてしまうと言ってもいい。 

しかし 一旦 歌が始まると そのクオリティーに驚嘆する。それが ギャップになり いったい何者なんだ!という強い興味が湧く。 


かつて2014年にハモネプに出場されたときも テレビ局はそのギャップに目を付けて強調していた。
テレビは 見た目と面白さ、印象がすべてだから その態度もうなづける。 

しかし 彼らの本当の凄さは ついにテレビ局には拾いきれなかったようだ。プロとの対決に真剣っぽさを加味する演出が必要だったのか 当時のハモネプの制作責任者の姿勢もあったのだろう。

もし、あの場でプロを破って優勝していたら?

そんなことを10年も経ってから言っても意味はないが、一個人がイフを
考えても 今なら 局に迷惑はかからないだろう。 

604組からの選出だったと聞いた。
彼らより若い人、派手なパフォーマンスをする人、ビジュアルがイケてる人、歌のうまい人もいただろう。
が、その中で リストラーズが勝ち残って本選に進めたことは 今の動画を
見れば 納得できる気がしている。 

面白く 意外性があり 見栄えのするパフォーマンスが出来て 歌がとびきり
巧い。
しかも (失礼ながら)特にビジュアルがズバ抜けているわけでなく、一般人の雰囲気そのままだ。 

それはずっと変わらない。
この路線が 彼らを現在の成功に導いたのだから 彼らの狙いは大正解と言っていい。 

テレビ局が 一過性の判定で リストラーズを落としてしまったことは 当時の彼らにとって 早い段階での成功の壁になったのかもしれない。

だが テレビで売れっ子になれば 私生活は180度変わっていただろう。

望まない猛スケジュールに追われ、一つひとつの曲の完成にこだわる時間もなく、ただただ視聴者の欲望のために消費される毎日。
テレビに出るアイドル達のように エージェントのもとで 商品としてつつき回され消費される。 

それは 合唱を根幹として 大切に昭和を歌い継ぐ彼らの姿勢とは かけ離れたものになる。
かつて存在したダークダックスやデュークエイセスのようになれる可能性はあるだろう。だが 今は昭和ではない。平成も通り過ぎ 令和。

SNSは 短文でやり取りされ、文章を味わうどころか いかに早く返信するかで誠意が量られる。
わずか15分ほどの動画でさえ、早送りで見るという時間の使い方で 短縮
ばかりに重きを置かれる時代だ。

映画をゆっくり見ることもなく 評価だけを素早く読んで話題についてゆく。
あるいはスマホ片手に 実況中継さながら SNSの投稿との二刀流。いったい
どちらに集中力が傾いているのか マルチタスクが出来ないと 世の中に置いていかれるということなのだろうか。

そう言えば 恋人らしき人とお茶をしながら 一言も言葉を交わさず、スマホに目を落として黙って過ごす二人をときおり見かける。
ようやく 時間を合わせて会ったはずだと思うのだが お互いが「今 ここ」に いない。

大切な人と時間を共有し その声を聴き 一挙手一投足のすべてを見逃したくないと感じる 愛しさや切なさを 味わう時間さえないくらい いそがしいと
いうことなのか。   

ゆっくり音楽を聴いたり、じっくり読書を楽しんだり、散歩でもしながら
思索に耽ったりなどは ごくごく一部の物好きがおこなうものと思われている
フシもある。 

それほど 日本人に余裕がなくなっているということなのかもしれない。 

音楽にしても 誰もが気軽に自分で曲を思い通りに作れるわけだから 流行りのボカロ曲にもいい点があって 人気があるのも理解できる。
ヒットする曲や聴かせる曲も多い。
また サウンドクリエーターや絵師さんにスポットが当たるキッカケにもなっただろう。

が、人間ワザと思えないような高いキーや低いキー、実際の楽器では演奏しきれない音も盛り込まれ、聞きとるのにも大変な早口言葉のような歌詞が
無機質に歌われるのを聞くと これでいいのかと感じることもある。 

そこに 感動があるのかどうか 脊髄反射のようなスピード感でしか掴めていないのではないかと心配になることもある。 

もちろん 独立独歩の道から 既にメジャーデビューされて成功なさっている米津玄師さんのようなかたもいらっしゃる。
が、芸能界という特殊な世界で 埋もれることなく頭角を現すのは 人知れず苦渋の選択や 捨てがたい思いもあったのではないかと想像している。 

大昔、芸能界は 普通の人には手の届かない世界だったと聞く。
銀幕の中の夢の世界とでもいうか、庶民が覗くことすらも出来ないものだった時代があったという。

AKBの出現の頃からなのだろうか。
手が届く 会いに行けるアイドルというものが当たり前になり、ついには
それまでは芸の肥やしとされていたものが スキャンダルとして世界的に報道されるほど 開かれた世界に変わりつつある。

当然 芸能界の人であっても 人権が軽んじられていいわけもなく 今後 風通しが ますますよくなって その中で自由に創造性を発揮できることは 当たり前に大切なことだし、風をどんどん入れてほしい。 

しかし 筆者は 今 そこに リストラーズがいなくて 正直 ほっとしている。
彼らに実際に 手が届くとは思わないが、それでも芸能界の手垢にまみれていない 今の在り方に 心底 ほっとしている。

おかしな感想かもしれないが あの時 優勝しなくて 良かった。
実力で言えば 優勝しても全く異論は出なかっただろうと思う。が、やはり 優勝しなくて良かったと思ってしまう。 

そのあと 長い回り道 と感じられることもあったのだろうし、悔しさをバネに ご自身たちのパフォーマンスを磨かれたことも数多くあったと思う。

実際 彼ら自身がどう感じ、どう受け止めていらしたのかは 分からない。
ただ 結果論ではあるが、筆者を含む 今のリストラーズファンにとって幸運だったのではないかと思っている。

芸能界によくある作られた人気ではなく、彼らの本当の実力が認められたのだから。 

今後 彼らの進もうとする方向は知らない。
が、堅実で聡明なメンバーのことだ。
地に足を着け 更に深みを持たせた音楽活動をなさるのではと思っている。

どんな道に進まれようと ファンはついていくのみ。
ただ 応援して うしろから風を送り続ける。


 
<  風が届いているといいな  空気のほんの一粒だけれど  >

     ※ 出演年・選抜数などの間違いのご指摘をいただきましたので
       修正いたしました。リストラーズメンバー及びファンの皆様
       には 大変失礼いたしました。
       ご連絡くださいましたG様には深く感謝申し上げます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?