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ショートショート:替え時

 私の職場ではよく誰かがクビになる。季節の変わり目には誰かがいなくなることは当たり前で、それ以外の時もふとした瞬間にいなくなっている。

 昨日まで一緒にプレゼンの準備をしていた同僚が消え、昨日こっぴどく叱られた先輩が消え、休みが明けると上司が替わることも珍しくない。

 会社の方針が次第に成果主義を突き詰めた結果がこれだ。誰であろうと成果をあげて利益を生むなら報酬が出るし、利益を生まないのならクビにする。ひどく合理的で非情だが、残ることさえ出来れば全く問題はない。

 私がこの職場に来て五年経つが、どうにかしがみついている。

 勿論、その為の努力はしているし、むしろ人生の全てを捧げていると言っても良い。

 常に仕事は先手を打ち、情報収集は欠かさない。休日も家で仕事のアイデアを練って過ごし、場合によっては仕事を片付けることさえする。休みなんてあってないようなものだ。

 久しぶりに家に遊びに来た友人には、仕事に没頭しすぎて生活すらままならない男に見えたようでひどく心配された。「歯ブラシが開きすぎている」とか「芳香剤から香りがしない」とか、子どもの頃に母親に小言を言われた記憶が蘇った。

 私から言わせてみれば、歯ブラシが開いてボロボロになろうが、いつ買ったか分からない芳香剤がただのオブジェになっていようが関係ない。それよりも仕事をしなければ。クビになったら替えの歯ブラシも芳香剤も買えなくなるのだ。

 だが、それでもいつか自分の番が来るのではないかという恐怖は消えない。気を抜いたら最後、自分のクビが切られてもおかしくはない。今まで消えていった同僚を見続けていると、他人事ではなくなってくる。明日の我が身を見るような気分だ。

 心も安まらず五年間を仕事に捧げて、昇進と昇給を繰り返すことが出来たのは駆り立てられているからだ。自分が『消えた同僚』にならないように自分で自分に恐怖を煽っている。

 そんな毎日を送っていると昼休みですら休みにならない。昼食は決まって社員食堂に行く。

 昼食代として毎日外で二千円使おうが困らないが、いつも満員の社員食堂の五百円のランチの方がよほど値打ちがある。というよりも、社員食堂で昼食を食べることに価値があるのだが。

「今度のウチがやろうとしてる買収、事業拡大が狙いだって噂だぜ」

「でも飲食業だろ?レストランでもやろうってか」

 ここでは色々な部署の人間が集まり、色々な話題が集まってくる。そういったことに聞き耳を立てていると、たまに有益な話が聞こえてくることがあるのだ。それで何度か危機を救われたこともあるし、誰かが消えることを知ったこともあった。

 そうなってくると社員食堂に来ない理由は次第になくなっていった。外出して好きなものを食べていても、そんな話は聞こえてこない。

「そういえば、五階のアレ、もうダメらしいぞ」

 今日聞こえてきた会話は私にとって嫌なものだった。

 会社では部外秘の情報も多いせいで、社員は直接的な言葉を避ける習慣がある。五階といえば私の部署が入っている階だ。

「そろそろだそうだから、早く替えを寄越して欲しいんだと」

「そうは言ってもストックがあるかチェックしないとなぁ」

 私は直感した。これは誰かがクビになる。クビが決まると後任が直ぐに来る。おそらく彼らは人事部だろう。

「で、どこなんだよ?」

「確かフロアの奥から二列目、真ん中だったかな」

 カレーライスをのせたスプーンは口の手前で止まってしまった。カレーライスの匂いも感じず、頭の中は真っ白になった。

 そこは私の席だった。

「昼休み明けたら早速やるか」

 そこで会話は終わってしまったが、それで充分だった。

 昼休みが終わり、私はいつも通り仕事に努めたつもりだったが、何も考えられなくなっていた。

 昼休みが明けたら、ということはいつ私のクビが宣告されてもおかしくはない。

 どこで間違った?私のやり方ではここにいるに値しないということか?ここまでの努力ですら未だ足りないのだろうか?

「君、ちょっといいかな」

 部長の声が背後から聞こえてくる。振り向くといつも通りの部長がそこに立っている。人ひとりクビにするぐらいで顔色が変わっていたら、部長なんて務まらないのだろう。

「ちょっと席をどいてもらえるかな?」

「な、なぜなんでしょうか」

 せめて最後に理由ぐらいは知りたかった。

「なぜって、もう替えないとダメでしょ」

 部長は怪訝そうに私を見つめながら天井を指さす。

 そこには消えかけの電灯が弱々しく光っていた。

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