サイコパスの友情

私には少し変わった幼馴染が居る。
彼は家族経営の3代目にあたり、子供の頃から色々な面で優遇されてきた所謂”お坊っちゃま”。
顔面偏差値が高く、親には大事に大事に育てられ嫌な事からは積極的に逃げて良いと教わり、欲望の赴くままに伸び伸びと生きてきた育ち(躾)の悪い残念で有害な大人。
職歴は大学時代のバイト(テロに近い)以外に外で務めた経験が無く、実質学校と家からは出た事が無い人の上に立ち続けた天空人でドラゴン様。
故に、我々下等生物ゴブリンの気持ちなんて分かるハズが無い。
人格以外のほとんどが恵まれて育ち、小学生時代には自分がいじめられている事にすら気付かないと言う、自己中心もここまで来ると他人からの嫌味にも気付けなくなるのかと感心したほど他人の心に無関心なモンスター。
そしてそれが大人になった結果、それは必然的に自己中心的で、ワガママで、自分より弱い者には横柄な態度を取り、しかし実は小心者と言う良くある典型的なエゴの塊の筋肉になってしまった。
大学を卒業してしばらくして地元の女の子と出来ちゃった婚をし、残念ながらその時は流産してしまったが一時的には家庭を持ったもののその後は初めて他人と暮らすと言う結婚生活もやはり数ヶ月しか持たずすぐに離婚。
そしてまた懲りずに出来ちゃった再婚。そしてお互い譲れない仕事の都合上、別居。
その間の半独身状態を良いことに多数の女性と「友達」と言い張りながら飲みに行くこと数十回。
大人の男女が2人きりでお酒を飲んだそのあと何をしてきたのかはよく知らないけれど、それらのロマン溢れる関係についてはその当人を私の前に連れて来てはいつも気持ちよく紹介してくれていた。
一応、善悪の判断は対外的な要因で判断は付くのだろうが彼からは罪悪感と言う感情は完全に欠落している。
理由は簡単。彼のその言動一挙手一投足全ての基準が「俺が」だからである。
彼が一見他人へ対しての思いやりに見える様な行動をとっていたとしてもそこには必ず「こんな良いことをやってる俺」や「俺ならこう思う」が存在する。
そこに受け取る側である相手の気持ちなど入る余地は無い。
そしてそれらはただの「善意の押し売り」になる。
人は、誰かに何かをしてもらった時にお返しをしないといけない気分になると言う返報性の原理と言う物が有る。
彼はその長年に渡る返報性による見返りを当然だと学習し成長し、本来善意が先に動いて働くはずの親切心が完全に利害関係優先のギブアンドテイク思考になってしまっている。
だから相手が求めても無い事を無理やり提供し見返りを求め、半強制的に承認欲求を満たそうとする。
しかし相手からするとそれらはただの「ありがた迷惑」なのであって、最初のうちは渋々受け取って来たとしてもその恩も積もりに積もると相手には耐え難い足かせとなっていく。
ただひたすら自分の承認欲求を満たすためだけの自己愛から生まれた一方的な冷たい贈り物。そこに他愛など無い。
だがしかし仮にそれらを「いらない」と拒否どうなるか?
当然彼はその承認欲求が満たされなくなるので即座に感情的に反応し不満を抱き拒否した相手に対して憤怒する。不思議にもそれが自分が優しさと言う物を与えようとしてたはずの相手にである。
そう、この矛盾した感情こそが彼の本性であり俗に言う「可愛さ余って憎さ百倍」の正体だとなのだろう。
幼少期より何でも思い通りに育って来たので自分の欲求が満たされない事に対して耐性が無いためそれを満たしてくれない相手に怒り狂う。
そしてその自分のやった事を肯定してもらわないと欠けた心が補完出来ないので、自分に従順な相手(女性)を捕まえて愚痴を語り巻き込む。
そしてその人(女性)から間接的に怒りの対象者に対して自分の正当性を語らせると言った手口で、、、こちらも「認知的不協和の論理」と言うか、自分の決定した事を後押ししてくれる情報を探すといった心理と同じで各心理学の立証材料としてはホント分かりやすくて大したもんだと思う。
要するに自己愛の強さが実害を伴う例であって、ほとんどの人間にも少なからずはある事だと思うが、それがどこまで行くかは各人よって振れ幅が大きい。
彼は現在、会社兼実家暮らしで、血統書付きの素敵な大型犬を飼っている。
その大型犬がほぼ室内犬になっているからかいけない事だけど散歩の時にはリードを付けないで掛け声で操作する。犬は従順である。飼い主の彼も見習うべきだと私は思う。
そして彼は自分で公言してるが、幼馴染である私の事をずっと親友だと思っている模様。
しかし当人の私としては彼の事を有害な悪党としか思ってない。
がしかし同時に一般的な友情とは少し違う、我々低級ゴブリンが孤高なドラゴン様に想う妙な感情が少し有る。
これが何と言うか、こんなクソ鬼畜な幼馴染を心配すると言う釈然としない妙な感情である。
この不倫しまくり状態の彼を今の奥さんに知られてはいけない!!と思ってしまう。バレれば(望んでいるはずの)彼の不幸が現実になる。守らなければ。と。見返りなんて要らない。純粋に心配になる。恐らくこれが無償の愛なんだろうか。
もう一つ、一緒に居る女性も心配。
離婚裁判になったらどうするの?
…そこで私が取った行動が、彼からの敵意を私自身に向けさせると言う行動からである。


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