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権力からの独立は芸術家に求めるべきか ~ビザンツ美術からジャニーズを考える

”世界の教養” 今回はビザンツ美術だった。ローマ皇帝・ビザンツ帝国とともに歩んだ芸術様式であり、大聖堂などの建築や、宗教をテーマにしたイコンなど、その芸術的価値は大きい。

他方で、byzantineという形容語が否定的に使われる、という話も興味深かった。ビザンツ帝国の支配者の狡猾性や美術の複雑性を揶揄するニュアンスがあるらしい。権力に用いられ、盛り立てるための道具に使われたゆえの批判や、権力を背景に装飾を思う存分できたという経済的バックアップへの嫉妬も含まれているのかもしれない。

でも、完全に権力から独立した芸術家、自力で活動できている芸術家がどれほどいるのだろうか。バンクシーはその象徴であり、だからこそ痛快で、素晴らしいと思うけど、なかなかみんなここまでにはなれない。
歴史的に見ても、昔から評価されている画家の多くは、時の権力者の肖像画やその希望に沿った絵を普通に描いてきたし、音楽家だって時の権力者を楽しませるために作曲して優れた楽曲が生まれてきている。建築など、お金がなければ建てられない、大きな建築物になればなるほど権力者(社会的な権力者も含む)との関係は切り離せないし、民間企業の発達していない昔は、奴隷(事実上の搾取も含む)を使わずして作ることなど不可能だったのではないだろうか。今だって、王族が権力を持っていなくたって、社会から賞賛を受けるために、儲けるために、社会の多数派という権力にすり寄って、本心ではない作品を作っている人は少なくないのではないか。

大事なのは、芸術作品それ自体と、芸術を職にして生きている芸術家の在り方とは区別するべきだということ。

芸術それ自体の価値は、その対象作品から判断されるのが理想。ただ、ときには、それがその時代の風潮と一体化して社会に影響を与えていたり、社会の中での使われ方によって本来の価値とは違うかもしれない意義や価値を与えられてしまっていることもある(戦時下のものなど)。逆に、作品自体が社会に影響を与えるために生み出されることだってある。だから、作品の評価は、その当時の社会的背景と合わせて判断されてよいと思うけれど、あくまでも表現の自由の結晶として、それ自体だけで、少なくとも製作者とは切り離されて判断されるべきではないだろうか。

他方で製作者としての芸術家は、表現の自由を有する人でもあるけれど、社会の一員でもあり、普通に働いて稼いで生きて行かなければならない人でもある。いろんなことをひっくるめて、<批判する人>たちと同じ<人>であることを無視してはいけないと思う。犯罪をしていれば裁かれるべきであるし、不当な発言をしたなら批判されてよいけれど、芸術作品それ自体とは別に扱われるべきではないだろうか。

ジャニーズ問題で確認すべきなのは、性犯罪加害者(であるという前提ですが)が存命中、正当に裁かれていなかったということ。刑事法廷ではもちろん、社会的にも裁かれていない。だから被害者も救済されていないし、その苦痛も緩和されていない。法廷で裁かれるべきかどうかは当時の証拠の存否によるから一個人としては何とも言えないけれど、社会的には、少なくとも民事訴訟で加害行為が認定されて確定したにもかかわらず、ほとんど報道されていないというのは、私たち社会の問題である。
ただ、これはあくまでも、ジャニーズ文化を創設した一芸術家(とあえて言いますが、前記の性犯罪加害者)個人についての問題。

現在、あるいは虐待行為当時、ジャニーズ事務所に所属していたというだけで、その人やそこから生み出された作品までもが非難されるのは筋違いのように思う。私たちも80年代や90年代にジャニーズ文化で楽しんでいた一員だし、今もジャニーズ文化で救われているファンは多いし、そういう作品鑑賞者の喜びを、所属タレントの過去の代表者の過ちによって奪う必要はない。

加害行為を知っていた関係者は問題かもしれないけれど、加害行為に加担したり、助長させていなければ、罰せられないのが今の法律である。誰が加害行為を利用したのか、責任を負うべきなのは誰なのか、きちんと見定める必要がある。
「加害行為がなされていたのを知っていた」だけの人など、社会にはゴマンといる。いじめもハラスメントも、重大な人権侵害になるし、ときには人の命や生き方を奪う。それを見て知っていながら、告発しない、被害者を助けない人など、この社会にはたくさんいるのではないだろうか。弁護士業界はもちろん、裁判所や検察庁だって聖人の集まりではない。

そういう意味で、「ジャニーズをテレビに出すな」などというのは筋違いだと思う。もしかしたら、性犯罪は許さない、という歌、そこまでいかなくても、傷ついた君に寄り添えなくてごめん、って歌を歌ってくれるかもしれない。そしたらそれはそれで、作品として評価してもよいのではないか。
今大事なのは、芸術家個人としての、ジャニーズ所属の人たちの権利や立場も考えること。彼らの表現の自由を尊重して、(性犯罪についても)言いたいことが言えるようにすること、作品を自由に作れる場を保障することではないかと思う。

芸術家は、時の権力から、社会から無関係には生活しにくい。そのために、彼らから生まれる芸術作品も、良くも悪くも、積極的にも消極的にも社会とつながることが多い。だからこそ、作品と芸術家は区別して、作品は作品として評価し、芸術家も一人の人としてどこまで何について責任を負うべきか、分けて考えることが大事なのではないか。


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