#388 どっこいしょぃ

 こんにちは、鏑木澪です。

 こういう話をなんと言ったらいいのだか……与太話?(それだとホラ吹きみたいな感じがするんだが←あながち間違いでもない)、

 なんだか、最近、視界の端を何かが横切るような気がして、一瞬「霊的な、アレですか?」などと思っていました。笑

 たんに目が疲れているんだと思う。←

 私は見えたり聞こえたりするタイプではないから、そういう存在がいてもおかしくないとは思いつつ、感じたことがないので、なんとも言えません。

 おるのかね〜
(穏便にいきやしょうや)

 ネタとしてそういう話をするにも、まだ時期が少し早いですね。
 もう既にだいぶ暑いから、いけるのかな。

 どうして何の話か、はっきり言わないのかって?

 怖いからに決まってんでしょうがー!ッ
 あたしゃ、ホラー映画を観て笑えるタイプだけど、それは過剰演出で「演出だ」ってわかっているからよ、本当のやつは無理よ。

 まぁ、人間が怖い……


 ここ数年、気温が上がると同時に衰えがちだった食欲が、なんと現在、マシマシです。

 ”歌ってみた”を始めてから、思いの外体重が落ちてしまって、「究極のダイエットだ!(これまでで一番結果が良いかも←なんでやねん)」などと思っていました。

 うん、一瞬にして3kg増えた(戻った)。笑

 不思議なことに、服の窮屈さ? 着心地に変化はなく、脂肪や筋肉のついている位置が少し変わった気がします。

 いやはや、私、本当におデブなので、体重計なんて乗りたくはないのですが、高校時代の習慣で、体調管理の基準のひとつがそれになってしまいます。

 部誌といって、毎日、

・当日の目標
・前日の反省
・練習内容(+反省点、改善策)
・食事内容
・睡眠時間
・体重
・試合があった時は対戦結果

 んー、もはや記憶が定かではありませんが、これくらいの内容を1ページにまとめて顧問に提出していました。

 なんだかね、女の子は生理中かどうかも書かされていたらしいのですが、私の代にはなくなっていました。おそらく、時代的な問題……のほうではなくて、「それを理由に練習サボってんじゃねぇ」という理由で。笑
(パフォーマンスに影響してくるので、人に伝える必要はないけれど、周期など、本人が把握しておくのは良いことだと私は思う。生々しくてごめんな)

 いやぁ、自分に子供ができたとして、こんな環境に積極的に送り込もうとは思わないけれど、社会の理不尽さを学ぶ意味では悪ことばかりではない気もします。

 ただ、なにをするにも「あの頃よりマシ」と思ってしまうと、どんどんヤバいところに頭を突っ込んでしまうから、それはマズイ。。。←経験者は語る

 渦中にいる時は、気付けないんだなァ

 今だと、部誌に体重を書かせるのもセクハラやモラハラになりそうですね。

 実際、他の女子は体重が軽いから重くなるようにサバを読んでいたそうですが、私は素で重かったので、そのまま書いていていたら、「せっかく痩せたのに(お前また太ったな)」と顧問に言われたことがありました。

 怪我の療養中だったこともあって、内心「は?(先生、それはセクハラではないですか。この競技、体重制限とかないし、どうでもいいですよね……実際、太ったけどォ泣)」と。

 事実だし、変な感じで言われたわけでもないけど、
 今、言わなくてもいいじゃーん! 気にしてんだよ。

 ……しどいよ。(酷いよ)

 体動かせないのに、少し食事量を減らしたくらいじゃ、そら太るよね。
 なんで、練習できないのに部誌を書かなきゃいけないの。

 あぁア゛、暗黒時代の記憶がぁあああ!
(いや、高校時代はまだマシだったじゃん←)

 まぁ、もうしばらくしたら忘れるからそれまでの付き合いだわ、この記憶とも。


 話が逸れました……逸れすぎて、もはや帰るところを忘れました。
(どうして要らないことはよく覚えているのだろうか←)


 私は文章を書くのが好きだから、書いて残しておけるのは嬉しいことだと思っています。しかし、時間が経つと「この表現は」「この言葉が」と、私の意図に反して、もしくは反していなくとも、想定以上に人を害してしまう可能性があります。

 長期に渡って多くの人に読まれる前提で、きっちりかっちり書かれた文章だったらば、そういうものは可能な限り減らすべきだと思うのですが、普段のふんわりした文章や創作物については、

 あまり、突かれたくない。。。
(本当に古今東西ダメなことに対する指摘は尤もである)

 最近も「教養がどうの」と巷で話題になったことがあったり
 個人的に昔の児童書を読んでいて「今はこの表現できないだろうな」と思ったり

 ”ホワイト化”と言われるのでしょうか。

 それは誰の「当たり前」で、誰にとっての「清潔さ」なのかなと思うと、私は気持ち悪く感じてしまいます。

 何かの影響を受ける、感情を抱く

 人それぞれ違う反応があるはずなのに、無理やり1ヶ所に集められていく感じがあって、どうにも馴染めません。

 事象(客観的事実・出来事)
 感情(事象に対する解釈、感想)

 このふたつは、分けて考えたほうがいいと私は思うんだ。

娘が生まれた日、父親は家の庭に薔薇を植えました。

 この一文に、「かわいい娘」「穏やかな父親」「庭の中心に」「綺麗な薔薇」とつければ、ほんわかした雰囲気かもしれませんが、「憎むべき娘」「苛立った父親」「庭の隅に」「怪しい薔薇」とすれば、どうでしょうか。

 ……いや、例え下手すぎんか。←

 両者を比較した場合、この時点では前者がハッピーエンドに向かいそうですが、実際、娘がどうなったか、この一文だけでは知りようがありません。

 本来得られた情報は、”娘が生まれた日、父親は家の庭に薔薇を植えた”だけだったはずなのに、色々こじつけられて、勝手にオチまでついてしまうことが現実でもあります。

 人間の想像力って素晴らしいよね、
 悪意の有無は関係なく、結果は同じだったりするのよ。

 どうすりゃいいんだろうか。

 いっそ何も知らなければ、気楽にできることもあるし
 逆にもっと知っていれば、道を見つけられるのかしら

 わかんねぇ、おら知らねぇ
(おい、ちゃんと考えろい!)


 ワぁ。


 我が家、昨年漬けた梅酒と梅シロップがありまして、今年は梅仕事なしでありんす。

 梅酒を飲みながら書いたから、ちょっと変なことを口走っていたらそのせいでござんす。

 お酒飲むの久しぶりすぎて、もともと弱いのに、もう、極少量で出来上がってしまっているような、大丈夫かな。。。←

 うわぁ〜い、元気出していこー!

 ではでは〜



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