#240 たいぱ

 こんにちは、鏑木澪です。

 今朝、Twitterを見ていると

「(要約)最近の学生は、”無駄な時間を好まない”、”結果をすぐ求める”。『タイパ』、つまりタイムパフォーマンスを重視する傾向があるが、音楽も絵も無駄な時間の積み重ね。回り道の先に得られるものがある」

 といったことをツイートしている人(作詞家、作曲家、音楽教師をされている方のようです)がいらっしゃいました。

 ちょうど、最近、私は母とこういった話をすることが多くて、「誰も努力なんか評価しないんだよ(なんで、わかってくれないかな)」と言っては、母に「そんなことないと思うけど」と言われて過ごしていました。


 このところ、私はVTuberにハマっています。

 きっかけは、「自分の声を使ってみたい。声を出すなら顔も欲しい(バ美肉したい←)」と思ったことでした。

 普通、VTuberを見ていて「私もあんな活動してみたい」と思って行動するほうが自然だと思うのだけど、「VTuber=ライバー=ゲーム実況」みたいな印象が個人的にあって、「なんで人が楽しそうにゲームしてるところ見せつけられなきゃいけないんだ。他人がゲームしてるところ見てる暇があったら私がやりたいわ。(幼少期の経験から拗れています←)」と思い、実際に配信を見たことはありませんでした。

 大手の事務所に所属しているVTuberをまずは見ていたのだけど、”個人勢”から事務所に所属した人の話を聞いているうちに、「今の個人勢はどうしているのだろう?(今後、私もそういった活動をするとしたら近い状況になりそう)」と思い、その中でもデビュー2年以内の新人を中心に調べてみました。

 本当にね、星の数ほどいるなぁという感じがしたので、ほんの極一部しか見つけられなかったと思います。

 ボカロPもそういう傾向があるなと思うのですが、VTuberも活動2年を区切りに転生や引退を考える人が少なくないようです。
(もっと短い期間で決断している人もいる)

 これに対して、「2年で結果なんかでるわけないだろう」と思っているから、私は転生も引退もしていない現状ですが、正直「転生を視野に入れたほうがいいのかな?」と考えることは今でもあります。

 実際どうなのかはわからないけれど、私の個人的な印象として、近年話題になっている人は、”他人から見てもわかりやすい下積み期間”が異常に短いです。

 いきなり出てきて
 いきなり売れる

 最初から秀でた能力がある

 そういった印象を受けることが多いです。
 下積み期間が長いと感じさせればマイナスの評価に繋がるのではないか、とすら思います。

 私は物語の展開として、「長年の努力が報われた。成果を収めた」という件が好きだから、”付け焼き刃”を見ていると不安になるので、現実でも「人知れず努力をしているのだろうな」とほんのり感じられる人を好きになることが多いです。

 しかし、人は”秀才”より”天才”を好みます。

 努力して手に入れたものだと聞かされると、まるで「あなたは努力をしていないからできないだけです」といわれているような気がしていたたまれないから、

 あの人は、生まれた時からその才があったのだ

 そう聞かされたほうが納得できるとでもいえば良いのか、傷つかずに済むといえば良いのか、気が楽なのではないかと思います。
(私にはそういうところがあると思う)

 でもさ、「あの人は天才だから」といわれると持って生まれてないもの、私はどうにもできないじゃんってなるから、絶望するしかないけど、

「あの人は努力して、あそこまで行ったんだよ」といわれたら、私も努力すれば少しくらいはできるかもしれないと、希望がね、

 生まれるような気がするんです、私は。

 努力できるかどうかも才能だとか、才能があっても発揮できる環境や金がないとダメとか、世の中、色々な状況があるから何も決めつけることなんてできないと思うのだけど、

 できることをやるしかないんだワ。

 だから、やりたいようにやれば良いと思う。
(常識的にやって良いことの範囲内でね←)

 引退はともかく、転生する人のことが私は好きではなかったのだけど、「仕方がないのかな」と今は思います。

 彼ら彼女らなりに、考えた方法だと思うから。

 コスパにしろ、タイパにしろ、「価値が見合っていない」という状況に厳しいのが現代のような気がします。

 私自身、学生時代にしていた仕事で「労力の対価」があまりにも見合わないと感じていたけれど(負わされる責任に対して報酬が少なすぎる)、それを口に出してしまったら「私の価値を消される」(実際はそんなもの存在しなかったと辞めた時にわかったけど←)と思っていたから、

 そのまま続ける以外、どうしようもなかった。笑
(勝手にそういう思考に陥っていただけ←)

 どこに価値があるか決めるのは誰かわからないけれど、少なくとも自分自身は自分に”価値がある状態”を生み出したいと思うわけで(思わない人もいるのかもしれないけれど)、その状態を作り出すために頑張っている人を私は批難できません。

 できないといいながらね、気がつかないうちに批難することを言ってしまっている時もあると思うから、少なくとも「批難したくない」と思っています。

 そして、回り道はしたほうがいいと聞くけれど、それが許されるのは回り道をしてゆっくり歩んでいるのを見守ってくれる人がいる場合のみだと、私は思います。


 あ、私の高校時代のどうでもいい話をするのですが、部活動の大会前は道具を持って広い場所に練習しに行くのが恒例でした。

 私たちの移動は自転車です。
 先生は車で移動します。

 はい、ここで問題です。

「部員たちは、先生より後に出発して、先生より先に目的地に着かなければなりません。どうすればよいでしょうか?」

 ち、ち、ち、チーン。

 ……正解は?

 本来、指定の大通りを使えと学校にはいわれていたけれど、とても間に合わないから、代々先輩から教えてもらった裏道を車と殆ど同じ速度で爆走ですよ。

 危ない。
 何も良いことがない。
(先生より先に着けるから叱られないだけ)

 他の部活の子がその裏道で事故に遭って大怪我をしたり、民族大移動(高校生の集団爆速チャリ移動が一般人から見ると恐怖でしかない)で学校に苦情が入ったりして、「先生より先に着くための手段を選ばない行動はやめろ」と通達があり、この制度はなくなりました。

 その反動か知りませんが、移動途中に自動販売機でジュースを買って飲み始める後輩とか、コンビニで軽食を買って食べ始める先輩とか、ごく少数ですが、そういう人が生まれたのを見て私は肝を冷やしましたが、そんなことが許される状況になったわけです。

 これが良いことかは置いておいて、そんな”寄り道”ができるようになってからのほうが楽しそうに部活をしている人が増えました。

 大会の成績は、一概には言えないので聞かないでください。

 遊んでいても結果を出せる人
 ずっと真面目に取り組んで結果を出している人

 どちらもいました。

 遊びすぎて結果を出せない人
 真面目すぎて結果に結びつかない人

 もちろんいました。

 これは、高校の時点の話だから、その後どうなるかは、誰にもわかりません。


 バランスだなぁ、と思います。


 回り道や寄り道をしている自覚があれば良いのだけど、ただ道に迷っているといつまでも目的地に辿り着けません。

 目的地に到達するまでの時間指定がある場合、回り道をしていると間に合わなくなります。

 それを考えながらね、私は行動していきたいと思います。
(思っているけど全然できてない←)

 はぁ、今日も1日頑張ろう!
(もう夕方だけど、大丈夫?←)

 ではでは〜


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