#59 顔面に、バツ。

 こんにちは、鏑木澪です。

 YouTubeのチャンネル登録者数が、200人と199人を行ったり来たりしているので、素直に「やったー!」という機会を逃してしまいました。
(これを書いているタイミングでは、200人います。ありがとうございます)

 Spotifyの月間リスナーは、そろそろ500人が見えてきそうですが、これまでの傾向に鑑みるとあと7人増えるためには、単純に考えて2日前に1日あたり47人のリスナーがいなければならないということなので、なかなか厳しいと思われます。

 むしろ、減るだろうな。。。


 毎日毎日、数字を追いかけている自分がいます。

 私は、制作活動を「趣味」にしてしまうと
「もうやんなくていいか」
「適当でいいか」
「どうせ誰も見ないし、やる意味ないか」
 そう思ってしまう気がしました。

 だから、「仕事」に近いかたちで取り組みたいと思っています。

 自分の作品に、「責任と自信」を持って、世に出したいと思ったのです。

 私の気持ちの問題であって、特になにが変わるということもなく、自分の作品に自信なんかありませんし、振り返れば
「あれもできていない、これもできていない」
「どうして、できない?」
 そう思うことばかりです。


 今月はまた、ボツ曲が大量発生して、noteのボツ記事も大量発生しています。

 記事の内容が、暗いんだわ。

 許容範囲かな、と思ったものは、内容が暗くてもそのまま投稿していますが、さすがに行き過ぎと思ったものは、下書きに封印しています。


 私は、主にひとりで活動しているので、「これどうかな?」と毎回チェックしてくれる存在はいませんから、「ボツにするかどうか」を決めるのは自分です。

 自分で、自分に「ボツ」ばかりだしていると、なんだか、落ち込みますなぁ……

 それで、「できない」と思うから、余計にできないという負のループになってしまい、出口が見つかりません。


 いや、曲ができたら出られるから!


 以前は、1曲完成したらほっとしていたのですが、今となってはできた瞬間に「次の曲どうしようか(課題が山積み)」と思ってしまうので、気が休まりません。
(ループから抜け出せてない←)


 ここまで、900字近く書いて、なにがいいたいのかといいますと、

 今月、新曲、無理くね。

 ということです。

 私の今年の目標は、「1年で12曲作る」ですから、
「毎月1曲、出しますよ」なんてひとこともいっていませんが、
(むしろそれは無理だから、「1年で12曲」を目標にした)

 ひと月に、1曲作れないと、年間で12曲って絶望的じゃん、、、

 そういうことです。

 おまけに、来年にはアルバム制作をしたいと思っています。
 12曲収録するとして、その2/3は最低でも新曲に、できればすべて新曲にしたいのですが、そうすると、年間24曲作らなければならないわけです。

 もう、絶望じゃん。

 私の好きなアーティストたちは、大体2年おきにアルバムを出している人が多いのですが、あれって、とんでもないペースですね。

 さすがに、毎月シングルを出しているわけではありませんが、カップリングを含めると曲数では、結構なことになっている人も少なくありません。
(その年によって差があるので、コンスタントに出せている殆どいない気がします)

 まぁ、初めて出会ったアーティストの曲は、「まず、ベストアルバムで聴こう」みたいなところが私にはあるので、既存曲をまとめたアルバムもある程度、需要はあるのではないかと思います。

 しかし!
 まだ、その時ではない!

 というか、単純に曲数がなさ過ぎて、そんなもの作れない。←


 数年から数十年単位での計画は昔から立てているのですが、中二病らしい14歳の時にすべての夢を失ってからは、「計画を立てたところで」という気持ちに邪魔をされてしまいます。

「実現するわけないだろう」

 私はまず、こんな歳まで生きられると思っていなかったので、既に”余生”みたいな気持ちがあります。
(「人生100年時代」といわれている時に、その1/5と数年で人生終わった気になっている奴がいます←)


 どれだけ頑張ろうが、なにかを成し遂げようが、そうでなかろうが

 行き着く先はひとつですから


 あんまり気張っても仕方がないのです。


 人間関係がうまくいかなかった理由を考えた時に
「相手に期待を押し付けていた」
 これがあったなと気がついたのは、「今度こそ大丈夫かもしれない」と思っていた大学時代の職場の上司に「裏切られた」と感じた時でした。

「無給料でよく働く駒」という認識しかなかったであろう上司からすると、心底どうでもよかったのだと思いますが、助けを求めた時に手のひらを返されるというのは、例え相手にそのつもりがなくて、私がそう感じただけであっても、自分でも信じられないくらいの怒りと悲しみが湧いてきます。

 私は、基本的に「他人が私を受け入れてくれるはずない」という前提で物事を考えています。

 今まではそれに隙間があって、
「もしかしたら、受け入れてくれるかもしれない」
「もしかしたら、わかってくれるかもしれない」
 そんな、「もしかしたら」を他人に押し付けていました。

 これが、他人に対してだけでなく、自分にも向いています。

「私だって、できるはず」を自分で自分に押し付けすぎるのはよくないです。

「できないもんは、できない」って自分でわかったら、
「とりあえず、休憩」するのが大事です。

 他人と違って、自分から自分は切り離せませんからね。


 なんだか、内容がありそうでスカスカな文書が出来上がりました。
 話題も暗いですが、落ち込んでいても仕方がないので、ちょっと、息抜きしようと思います。

 ではでは〜

 


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