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無職でハッピーに世界一周ハネムーン!2023年何があった?

私は今、コロンビアにいます。日本を出発し、世界一周ハネムーンに出かけてから5ヶ月目に突入しました。ちなみに、無職です。

1年前は渋谷で会社員としてバリバリ働いていました。大人の1年は短く感じますが、そんなあっという間に終わる1年なのにも関わらず、生き方ががらっと変わり、生きる場所も変わりました。これだけ変わる年は今後無いかもしれません。ハードで、怒涛の1年であり、とても貴重な1年でした。そして今、幸せです。

そんな特別だった1年を、ゆっくりと振り返ってみたいと思います。

本noteは、以前イベントに登壇させていただいた「キャリアとライフイベントのネクストアクションを追い求めるコミュニティ」MEASUREさんのアドベントカレンダー2023に連動しています。テーマは「2023年のハードシングスと乗り越えです。このような素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございます。


2023年のはじまり

そういえば、2023年のお正月は最悪でした。

大晦日の夜。那須塩原の実家で夫と親とまったり過ごしていました。紅白に大好きなTWICEとKinki Kidsが出ていたので、ウハウハでテレビにかじりついて歌っていました。もちろんカウコンも見ています。嵐を一切見ない年末はなんだか寂しく感じながら、寝たのは確か2時近かったはず。

看病してくれてありがとうね

朝の5時頃、トイレに行きたくなり目が覚めました。用を済ませて、お布団に戻るとみょうに足が寒い。「冷え性だから仕方がないか。」毛布にくるまり、ふかふかの毛布シーツに足をこすらせて温めようとします。ゴシゴシと足をすべらすけど、一向に温かくな離ません。むしろ、身体の中から凍ってきているような気がして、足どころの騒ぎではなくなってきました。

身体がどんどん寒くなり、頭が朦朧としはじめ、さすがに1人で耐えるレベルではなくなってきました。意を決して夫の布団に腕を目一杯のばして起こし、とにかく寒いことを伝えた時には、朝になっていて親も起きはじめていました。体温を測ると40度。午後には病院(ちなみにコロナは陰性)。2日から義理のご両親へご挨拶へ行く予定があったのに、夫から謝罪の連絡を入れてもらわざるを得ない状況でした。

2023年が最悪な年になるとしか思えない始まりでした。

夫、著者になる

そんな最悪なお正月が終わり、2023年2月12日、夫が著者になりました。「海外ノマド入門 ここではない場所で生きていく」(Amazonのリンクはこちら)という本で扶桑社さんから出版されました。

渋谷スクランブルスクエアの蔦屋書店に、平置きで置いていただいていた

発売した日、彼は「ノマドニア」のメキシコ開催のためにグアナファトへ出張中でした。相変わらず、海外。彼の代わりに色んな本屋を周り、彼の本を見つけては写真を撮って送りまくる毎日です。八重洲の丸善、新宿の紀伊國屋、代官山の蔦屋など、さまざまな書店で「ルイス前田」の名前を見るたび、改めて夫の行動力と決意を尊敬しました。

そこから本に関係する活動が始まり、3月には福岡の六本松にある蔦屋さんでイベントがありました。会社の休みを合わせて、私も同行させてもらいました。

そこには夫のことをXやノマドニアから知った人が来てくださいました。福岡でも、夫の本を読む人がいるのか。夫の頑張りは単純に凄いなあと思うし、この隣にいる人は何者なんやって思いました。今もそう思っています。

夫の友人である強者旅人の森さんと高井さんと

そして、会社員以外の生き方をする人、そんな生き方をしたい人、生涯旅人として生きている人、いろんな方と出会いました。生き方って、人の人数ほどあるものだな。


そろそろ、世界一周に行きませんか

2023年4月29日、日本に入国する場合に必要であった、有効なワクチン証明書または、出国前検査証明書の提示が不要となりました。電車の中では、まだマスクをしている人がほとんどでしたが、なんとなく、世の中の空気的に「そろそろ、普段の生活に戻りませんか?」とお伺いを立てはじめている雰囲気があった気がします。

夫は、学生時代から新婚旅行で世界一周に行きたいと宣言していました。それを知った上で結婚しているので、人生のどこかで世界一周へ行くことはわかっていたし、それに対して1年〜2年ほどコミットすることも見えていました。自分も、心のどこかで「やってみたい」と思ってことも事実です。当時、35歳。勤めていた会社は1年9ヶ月勤務。コロナも何となく落ち着いた。もし、1〜2年間の世界一周へ行くなら今しかない。そんな時期でした。

でも、その決断は怖く、すぐにはできませんでした。

35歳女性で、会社を辞めて無職のまま過ごすってリスクが大きいと感じていました。1〜2年のキャリアギャップができること。帰国したら37〜8歳になっていること。そこから再就職することが大変に感じたこと。子供が欲しくなったら年齢的にリスクは上がること。妊娠と再就職がバッティングする可能性があること。無職、無収入になることに不安があること。

当時の仕事も単純に好きでした。職場は大変だったけど、同僚は良い人に恵まれていたし、ありがたいことに頼られたり、感謝されることもあったので、申し訳ない気持ちもありました。その職場を去ることが惜しくて、残念でした。

一方で、世界一周に行った人やたくさんの旅を経験した人は、それらの決断に対する「後悔」が一切ありません。自分でも、世界一周をすることは、どれだけ価値があることかなんて誰からも言われなくても分かっています。色んな生き方もあるし、会社員である必要もない。それでもなお、悩みました。

そして、たくさん、たくさん、夫と話しました。色んな懸念が晴れるまで。

最終的に、自分の中でこのように結論になりました。

① 今の自分が1番若い。今行かなければ年齢に関する悩みは増すばかり。
② ぶっちゃけ仕事は実績も信頼もある程度あるはずなので、心配ない。
③ 子どもは、色んな形で授かることができる。
④ いざとなったら夫に1人で稼いでもらう。

大袈裟かもしれないけど、私にとっては大きな安心につながる結論で、腹を括ることができました。決断できた時、心臓がバクバクして感極まりました。

5月16日、日本発の飛行機チケットを購入し、肩の荷が降りたのか謎に泣いてしまった


「会社を辞めます。世界一周に行きます。」

世界一周に行く月は7月か8月と決めていたので、大体2ヶ月の猶予を持った上で退職の意向を伝えることにしました。

5月13日。まだリモートで仕事をしていたので、上司に突然ビデオ会議をお願いしました。辞めることを伝えるのって、何回やっても慣れないし、何回やっても回りくどい言い方になってしまいますよね。鏡の前で練習した内容を、頑張って伝えました。上司が、最後まで聞いてくれた後に一言。

「羨ましいな。私も世界一周したい。」

拍子抜けでした。怒られるとも思っていなかったけど、「羨ましい」と言われるとも思っていませんでした。

「羨ましい」という言葉は、このあと、何度も何度も、色んな人から言われた。そして「決断できてすごい」、「人生って仕事だけじゃないですもんね」とも言われました。

逆に一度も聞かなかったのは、「仕事を辞めてまで、行かない方がいいんじゃない?」とか「年齢的にやばくない?」など、最近まで自分で自分を引き留めていた言葉でした。まさか自分が、自分の1番の敵だったなんて。

退職の意向を伝えたあと、たまたまアジア各国の同僚が日本に来てチームビルディングをした。
ちょっと気まずかった。

色んな方と話していく中で、皆さんが仕事以外でやりたいことがあるけど、何らかの理由で決断できない状況にあることが見えてきました。「やりたいけど、できない」理由を解決して、「やる」にギアチェンジできるってラッキーで、幸せなことなんだ!自分が今おかれている状況が、とても尊いものであることが分かりました。

会社を退職していく中で、今回の決断が前向きなものであると感じていくようになり、旅を楽しむマインドへ変わって行ったのもこの時期です。

さよなら

出国まで怒涛の日々

出国日は8月1日。残り2ヶ月半で、すべてを片付けなければいけませんでした。仕事を引き継ぎ、家を引き払い、荷物を預け、家族や友人に挨拶し、旅行の準備をする。とくに、家の荷物は、預けるか捨てるかの2択しかなかったので、何度も家の階段を上り下りしてゴミを捨てまくる毎日でした。

そして絶対に忙しいはずなのに、世界一周の準備をしなければいけないのに、遊びまくっていました。

伊豆長岡へ
ミラコスタ宿泊&ディズニーシー
モノをぶっ壊す体験
美容医療課金

まるで一生日本に戻らないかのように遊んでいました。遊びの間に引越しの準備をして、嵐のように7月29日に鍵を引き渡しました。電気も止められたアパートは殺人的に暑かったのをいまだに覚えています。


世界一周のはじまり

8月1日は雨でした。成田空港からシアトルへ飛び、そこからトランジットでロスへ飛ぶスケジュールです。成田空港では、夫の友人でプロのカメラマンをしている長沼さんに記念写真を撮影いただきました。少し恥ずかしかったけど、後でいただいた写真を見て「やってよかった」と心から思えた瞬間でした。

もちろん記念撮影は夫のアイデアでした

この日は日本の天候が荒れていたため、飛行機が遅れて出発しました。そして、もちろん乗り継ぎ便は逃しました。初日からトラブルがあったが、世界一周のアドレナリンの効果は大きく、サクッと便を変更し、気づいたらロスにいました。

8月、9月はアメリカとカナダで過ごしました。滞在した場所は、ざっとこんな感じです。

・カリフォルニア州(ディズニー、エンジェルス)
・ネバダ州(ラスベガス)
・アリゾナ州(グランドキャニオン、モニュメントバレーなど)
・ユタ州(ブライスキャニオン、ザイオン)
・テキサス州(ダラス、フォートワース)
・アルバータ州(カルガリー、バンフ)
・ブリティッシュコロンビア州(バンクーバー)
・ワシントン州(シアトル)
・ニュージャージー州(メドフォード)
・フロリダ州(オーランド)


アメリカに住んでいた時の英語の家庭教師の先生ご夫婦と

世界一周中、夫は仕事を続けています。そのため外で観光するよりも、家で過ごす時間の方が長いです。その間私はnoteとTikTokを作る創作活動と、ゲームとNetflixとゲーム実況を見まくる活動を半々くらい行うようになりました。なんと自由な生活。

今までフルタイムで仕事をしていた分、何もしていない生活に抵抗が出るのではないか?と出発する前は思っていました。しかし、疲れやすい体質と、旅中に出てくる細かいタスクと、元々持ち合わせていたインドア気質のおかげで、全く抵抗がありません。むしろ快適なので、帰国した時が不安で仕方がないです。

ダラダラ

一方で、減っていく旅行予算を見て焦りを感じ始めました。最初の2ヶ月をアメリカ、カナダで過ごし、観光も多くしていたので、残高が桃鉄のマイナス駅ばりに減っていきました。

フォレスト・ガンプポイントにて

旅とお金について考える

10月。メキシコにたどり着きました。グアダラハラと呼ばれるメキシコで2番目に大きい都市で1ヶ月滞在しながら、メキシコ内を動き周ることにしました。

・グアダラハラ
・メキシコシティ
・グアナファト
・サン・クリストバル・デ・ラス・カサス
・トゥルム

メキシコ・グアナファトにて

同じ場所に長く滞在するので、腰を据えてお金を生み出そうと考え、単発でできるオンライン英会話の講師として登録をしました。夫のようにノマドか?と言われると、そうではありません。月に使うお金の1/10も稼いでないし、毎日やっているわけでもないです。

でも、この時に初めて人がノマドをする意味が分かりました。

前までは「旅をするのに働くなんて大変だからやりたくない」の考えでした。当たり前かもしれないけど、快適な旅を選ぶためには、お金は必要です。そしてお金は使えば減ります。いちいち帰国して稼ぐよりは、旅をしながら仕事をする方が、効率的に長く旅ができる。お金は残念ながら空から降ってきません。今のところは。

ラスベガスでもお金は降ってきませんでした

でも使う以上にお金を稼げるようになるには、努力と時間が必要です。そこはノマドとしての実績がある夫に頼らせてもらうことにして、今も旅を続けています。私の仕事はあくまでもお小遣い程度です。金銭的なところで「パートナーシップ」について話すのはズルい気がしていますが、どこでも稼げる夫がパートナーであって本当に良かったと思います。
(今後、私も仕事に復帰したら、夫が仕事をしなくても生きれるくらいの働きはするつもりです)

パートナーシップについて考える

長期の旅行をすると、人間は絶対にボロが出ます。言葉が通じない環境、物事のイロハが分からない場所で暮らせば、誰だって疲れるし、怒りっぽくなります。私たちも例外ではなくて、何度もつまらないことで喧嘩をしているし、お互いができないことを助け合いながら毎日を過ごしています。

この旅に出てみて、初めて結婚・パートナーシップが持つ意味が分かった気がしました。パートナーシップは、相手が弱っている時に、相手がマイナスになっている部分を自分が背負い、2人で100%の状態へ近づけること。つまり常に相手の存在と状態を考えながら、自分の身振りを考えること。

びっくりするくらい大変だし、責任があることです。覚悟も必要です。結婚した時に覚悟がなかった訳ではないですが、大変さには気づいていませんでした。

最近撮った2人の写真

夫は、割と自然に私のマイナスを背負える人です。私は、かなりわがままなので、それをできないことが多いです。何か夫ができないことをやった時に、やってあげている感がどうしても出てしまうし、見返りが欲しくなる。全然だめじゃん、私。と反省しながら生きています。

大人になってから性格を直すのって相当難しいけど、こればっかりは大好きな夫に一生影響がある話なので、この世界一周を通して、相手を自然に支える癖を身に付けないといかんなと。結婚生活も、人生もこれからが長いので、帰国したら少し寛大な人間になっていたいです。

※詳しくはこちらのnote

これからの話

このあとは、エクアドル、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチンへ移動し、2月には南極ツアーに参加。そのあとは、中東、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの順に訪問します。段々と日本に近づいてきて、終わりが見えてきたような気分になり、すでに少し寂しい気持ちもあります。とは言いつつ、実際に帰国できそうなのはまったく遠い未来の話で、2025年に帰国になりそうです。

フロリダの空港にて

だいぶ先のことでありつつも、帰国後のことをぼんやりと考え始めました。もともとのキャリアであった人事領域の仕事に戻ることが、1番自然で簡単だと思います。

でも、せっかく一度思いっきりキャリアから離れたので、自分が好きなことをやっても良いかもと考えたりします。特に食べることが大好きなので、食に関わる仕事にも興味が湧いています。やっぱり私は日本の食事、特に麺が好きなので、麺x海外で何かできることはないか、とか大きな妄想をしたりします。うどん屋さん、やりたいんですよねえ。

さいごに

1年前は、渋谷のオフィスで必死に仕事と立ち向かっていました。今は、コロンビアにいながら、ガラパゴス諸島のツアーについて調べたり、帰国後にうどん屋さんで修行を積んでいるかもしれない未来を頭に浮かべ、ワクワクしています。36歳にもなって、無限の可能性がある未来に対し、ワクワクする毎日を送るなんて思ってもいませんでした。本当に年齢は数字のみですね。

難しい判断もあった1年でしたが、このような大人の青春が経験できて、幸せです。今年は、良い年でした。



\私はこんな人です/

プロフィール:
1987年生まれ。埼玉出身、11歳まで大宮で育つ。そこから親の仕事の都合でアメリカ・ニュージャージー州へ。2011年に帰国し日系メーカーに新卒入社。そこから外資金融メディア→外資製薬→外資メディアへ転職。2021年7月11日(セブン・イレブン)に前田塁と入籍し、2023年8月に仕事を退職し夫と世界一周、新婚旅行へ。

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