目指すボーカリストの限界範囲と対応

昨日、Music Planzにてボーカルディレクションという授業を行いました。

基本Music PlanzはDTM作曲を支援する団体です。なので各々の録音環境なり機材の選定等のアドバイスが基軸なのですが、会員の作る楽曲に載せるボーカルを会員自体が歌う事例が大変増えてきていて、ボーカルそのもののレッスン需要が増えてきています。

これが通常音楽スクールのボーカルコースならば目指す歌手や目的エリアがはっきりしていて指導、カウンセリング方法も明確なのですが、DTM作曲を行っているとなると、明らかに指導要領が変わってきます。

まず、

歌い慣れていないことに起因する自分のボーカリストとしての技量、力量の見積もりのズレ。

これがとてつもなく多いです。

声、歌声には生まれ持ってのキャラクターがあり、その適用範囲には個人個人にて限界があります。

誰もがマライアキャリーやホイットニーヒューストンのような声が出るわけではありません。声の高さ、声質、声量、発音の特徴には生まれ持った個人の限界範囲があります。これは、運動では短距離走が得意な人、マラソンが得意、球技、体操それぞれ個人の得意な適性があるのとおなじです。ボーカルにも適性があります。

声帯で発せられた声は体格と口蓋内の骨格にて音質が与えられて、口と舌の動きで発音が調整されます。

声帯は筋肉群なのである程度鍛えることができますが、骨格は変えることができません。なので、与えられた声質の範囲は生まれ持って決まってしまってます。

よって人を魅了してやまないメインボーカルの天性を持って生まれている人もいれば、どんなに技量を磨いても技術が素晴らしくともフロントに立てずバックボーカルまでにしかなれない人もいるのです。これだけは「運命」としか言いようのない神様の残酷な一面として受け入れるしかありません。

なので歌においては、神様に選ばれた人と、与えられたエリアでしか活動できないという事実を受け入れなくてはなりません。

ボーカリストになれるかどうかの運命論は置いといても、個人の声質の範囲は間違いなく限界値が存在します。

自分の歌いたい歌手、楽曲が自分の声と合っているかどうかを把握することはとても大事ですが、どうもそこに対しては鈍感な人が多い印象です。

録音した歌声を自分で聴くと、自分で思っていた声とのギャップに驚くと思います。そして「こんなに歌が下手なのか」と愕然とするに違いありません。ギャップについては「骨伝導」か関係しています。自分の録音した声を自分で聴くのは骨伝導が無いので違和感があるのですね。

自分の歌の下手さについて、下手さがわからない人はその殆どが

「自分の歌の下手さも自覚できないほどに音楽的な耳が悪い」

ことに起因しています。歌の技量が上がるにつれて、耳も同時に育ち、歌が上手くなっていってるポイントの把握以上に、現在できていないこと、歌の下手さについて恥ずかしいほどに自覚が増えていきます。それでも練習を続けてポイントを虱潰しに克服し続けることで徐々に自覚している下手ポイントがピークを超えて少なくなっていった頃からやっと人に聞かせられる歌が歌え始めるようになる。

殆どのボーカリストはこの成長曲線を辿ります。

まずは、自分の声質の把握と技量の自覚。ここから始めなくてはなりません。これに気づくためには、自らの歌を録って正当に評価しあえる環境が必要です。

いま、Music Planzにて、しっかりとボーカルについてのカリキュラムがスタートしつつあります。

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