どうする二本松藩

何度か書いているように、PCがいよいよダメになりつつあります^^;
それにしても使い慣れたパソコンが使えないというのは不自由で、一刻も早く損害賠償を支払ってもらいたいものだなあ……と感じています。

ただし、そんな中でも有り難いことに仕事の依頼を頂いておりまして、できるだけ工夫して原稿を仕上げようと、創意工夫中。
ちょこっと書いたように、以前所持していたPCがまだ残っていたので、その機能を活用して、下書きをしている次第です。
USBメモリに原稿データを落とし込めば、最低限の情報は処理できますしね。

さて、そんな中でもTwitterのフォロワー様から頂いたリクエストに答えるべく、再び二本松藩の小説についてのリサーチ&一部下書きに取り掛かっております。
昨年に書いた「直違の紋に誓って」が、慶応4年(1868年)なのですが、その6年前の文久2年から、話はスタート。
スタート地点をここに設定したのは、主人公の大谷鳴海が思いがけず家督を継ぐことになったのが、この年だったから。

ただ、世間的にも色々とあった年でして、生麦事件や文久の改革が行われたなど、既に激動の時代だったことが伺えます。
割と従来は「二本松藩は固陋に捕らわれて、戊辰戦争では負けた」的な解釈がされていたのですが、必ずしもそうとは言えない部分があるわけでして。
今回は、そんな部分を描けたらいいなあと考えています。

ちなみに、主人公の大谷鳴海は「直違の紋~」にも、武谷剛介を会津に導くキーパーソンとして登場していましたが、そのほかにも「直違の紋~」で出てきた二本松藩の大人たちが、続々と登場する予定です。
ぺれぴちさんが「電車の窓から最期の地を見た」という三浦権太夫の強烈なエピソードや、家老坐乗だった丹羽丹波(やっぱり今回もヒール役ですが^^;)、民政ラブの丹羽和左衛門、「弁舌巧み」と言われた、丹羽新十郎などなど……。また。リクエストをくださったH様の希望もあるので、まだ敬学館(二本松藩校)に通っていた頃の木村銃太郎なども、脇役として出てくるかもしれません。

最後に出てくる「水戸藩の天狗党征伐」についても、なぜ財政が破綻寸前の二本松藩が征伐に向かわなければならなかったのか。その点についても、二本松の情勢と絡めながら、掘り下げて行くつもりです。
ちなみに調べた限りでは、この頃の二本松藩について書かれた小説はないはずなので、書く方としても苦しみつつも、楽しみです(*^^*)

それにしても、今回はリクエストを頂いたH様の助言もあり、参考資料が充実しているのは、嬉しいところ。
リクエストを下さったHさまには、心より感謝している次第です(*^^*)

#エッセイ
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