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二本松探訪記2023~番外編

今回二本松を訪問した理由の一つに、「二本松図書館」の貴重資料を閲覧したいというものもありました。
そして、お目当ての一つが「文久年間」の二本松城下家臣団町割りの住宅図。

実は「直違の紋~」のマガジンには、紺野庫治氏の著書からコピーした二本松の城下図を載せています。

ですが、元々小さいサイズなのと旧仮名遣い表記なのでわかりにくい部分があり、この紺野氏の絵図の元となった「二本松藩史」付録の地図(こちらもコピーを持っています)を元に、頑張ってExcelで再現してみました。
PDF化すると細かい字も拡大して見られるので、出来れば「デジタルデータ化したい」と以前から考えていたのです。

水路など一部をカラーリングしたのと、紺野氏が使っていたものよりも「文久年間」に寄せて一部修正していることもあり、割と見やすいのではないでしょうか。修正後の絵図は、幕末の頃に近い町割りのハズです。

文久年間は「鬼と天狗」の頃の話で、「直違の紋~」のときよりも、割と城下の様子も描いています。
ただ、書き始めた時点では誰の屋敷がどこにあるのか不明だった部分もありました。
具体的には、丹羽和左衛門の屋敷や三浦権太夫の家がどこにあるのか、知らなかったのです。

それが、今回文久年間の地図の一部を複写させて頂いたことで、よりリアルな「幕末期」の二本松城下の様子を描くことが可能になりました。
さらに、「直違の紋~」の主役である剛介が木村道場に通った道筋も、こんな感じで再現してみた次第です。

きっと、剛介はこんな風にして毎日木村道場に通ったに違いありません。

それぞれの屋敷のあった場所を確認すると、やはり家老や番頭クラスは、城下の要所に屋敷を持っているという印象でしょうか。

さらに、謎だった「三浦権太夫」の自宅も初めて特定できました。何気に、自宅のすぐ裏手にあった「揚屋あげや(多分、武士と平民とで牢屋が区別されていたのだと思います)」に彼は押し込められていたようです(^_^;)

そして、「鬼と天狗」の主役である「鳴海様」のご出勤ルートは、何と自宅の眼の前が職場(番頭に出世すると、仕事の一つに敬学館の指導がある)という、超近い出勤ルート(笑)。


明日が本業の締切にも関わらず、ついついこんなものを作ってしまいました(^^;
ちなみにこの地図については、これから他の藩士の名前も書き入れていって、進化させていく予定です。
いつ完成するかはわかりませんが……(苦笑)。

#日記
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#幕末
#直違の紋に誓って
#鬼と天狗


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