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日本語指導ボランティア日記7

口角を上げて2人の話を聞いているんですが、
教えるときはいつもマスクしてるんですよねぇ。

7月3日

前期もいよいよ終わりが近づいてきました。
7末〜8月いっぱいは夏休みだそうです。

今日はいつものAさんと、Dさんを受け持ちました。

中国出身のDさんは日本語学科でもう1年ほど学んでいて、
N2合格者ということです!おおっ!
話し方を見ていても、頭で文を組み立ててから口に出す状態ではなく、
言いたいことがスムーズに変換&出力できています。

N2~N1になってくると基本的に文法構造の項目は無く、
語尾のニュアンスを体に染みつかせていく段階になります。
(こんなの口語文で使わないなぁ、という文系も登場します)
たとえば「〜したためしがない」「〜にかかれば」などは
単語を学べばいいわけでは無く、どういったシチュエーションで・
どういった文脈で・誰に対して使うのかなどを理解せねばなりません。

言葉を教え始めて改めて認識したことは、
「誰に向かって」「いつどこで使える言葉や言い回しか」
というニュアンスを理解するのは難しく、また、
レベルアップには欠かせないということです。
逆に言えば、これができていれば上級者だと感じるでしょう。
そう考えると、ますます、言語の沼の深さが顕著になります。
その国の文化を体に染み込ませ、
自分で体現することとイコールなのですから。

前置きが長くなりましたが、今回は
言葉のニュアンスについて紐解くことが多い回となりました。
早速、以下の違いについて質問を受けました。

1.食べようとしない
2.食べたくない

ふむ

言われるまで、私はこの二つが似ていると感じたことがありませんでした。
とても新鮮な気分です!

1は食べる+(〜し)よう(意向の助動詞)+するの否定
2は食べる+(〜し)たい(希望の助動詞)+ない
です。
意図する行為はだいたい同じですが、語り手が違います。
1は自分以外の態度を描写しています。2は自分の気持ちです。

たとえば小説なんかで、
「私は食べようとしなかった」と表現されることもありそうです。
しかし、これは過去の自分を客観的に話しているので、ある意味他者です。

「彼は食べたくない」は文法的に間違いです。言い換えとして
「彼は食べたくないと思った」
「彼はきっと食べたくないのであろう」
などと、客観的な言い回しを加えることで違和感を回避できます。
「彼はきっと『食べたくない』のであろう」
こうすると、よりわかりやすくなります。
そうです。あくまで客観的に感じた彼の気持ちの引用なのです。

今回はDさんの方が明らかに理解度が上でした。
解説をしていても、なるほどうんうん、と頷き
言葉のニュアンスをしっかり感じられているようです。
しかし、Aさんのレベルと同じN3のテキストを解いてみると
正答率は高いものの、全問正解とはいきませんでした。
解くときも、一瞬、考える様子が見られました。

言語のレベルは一筋縄で表せません。
どのように指導するのか、こういう反応からも
ヒントを探る必要がありそうです。

2人は中国出身なので、どちらかがもう一方に解説するときは
もちろん中国語です。
また私だけがふんわりと宙に浮く時間ができてしまうので
なんとなくわかるふりをしてしまいます。
口角を上げ、にこやかに聞いているつもりですが、
顔の下半分がマスクで覆われていため
目線の泳ぎだけはしっかりバレていることでしょう。

駄目押しのラストトピック。
「〜させてもらう」についてです。
学習者からすれば、
使役形にあげもらいの話がくっついているように見えますが、
そうではない、とわかってもらうところから始めなければなりません。
(ここらへん、私も指導時にはっきりさせておけばよかった)
意味としては相手に自分の行為の許可をいただくことを指します。
誰かになにかをさせることをしてもらう(?)、とは考えません。

ここで混乱するのが、「〜させてくれる」という言い回しもあること。
もらうの主語は自分。くれるの主語は自分以外。
このルールは変わりません。でも意味はあくまで「許可を得ること」です。

ニュアンスを伝えるときはどうしても説明が長くなってしまいます。
こういうときは、1回説明を聞いたらわかるというものではありません。
多角的にその意味に触れ、
立体的な理解を重ねて初めて、掴むものなのですね。たぶん。
言語は「学ぶもの」ですが、
レベルが上がるほどに「感じるもの」になっていくのだなと思いました。

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