そして、ふたたび…
夫との関係修復を優先して
息子達を迎えに行くタイミングを
泣く泣く延期…
これがその後10年ほど続く
大きな苦悩の始まりになるとは
その時はまだ知る由もなく…
今の私からすれば
さっさと夫と別れて
子供達と日本で生活することに
フォーカスした方がいい
とそれまでの様々なプロセスから
言えるけれど
できるだけ夫との関係を修復して
パパとママのいる家庭を
子ども達に提供する努力も大切なはずと
親の離婚で寂しい想いをした私は
その時、頑なに耐えていた
一度離れて
この手に取り戻した息子達と
ふたたび離れたことを
責める自分は正直いた
どんな状況であっても
子ども達と離れたくないと
夫や義母に
主張してもいいじゃないか…
というアイデアは
その時
「夫の機嫌を損ねたら
子供達と会えなくなるかも…」と
ほぼ夫の洗脳状態のようだった私には
思い描けないことだった
・
・
なぜ
こんな風になってしまったのか…
結婚していた頃
そして
関係を修復しようとしていた頃
夫との関係性が
いわゆる「対等」
とは言えない状態であること
自分に自信を持てなかった私が
夫に頼るつもりが
心理的に依存してしまい
さらに
共依存と言える
関係性になってしまっていたこと
そして
夫の言動はDVやモラハラと
言える範疇に入っていたこと
渦中にあった頃は
モラハラなどの概念や言葉が
まだなかったり
知らなかったりで
全く気づくことができなかった
・
・
夫との関係修復中に
心理学を学び始め
関係性を改善する方法を
見出そうと試行錯誤したものの
結果は離婚となった
離婚が決まった時は
ひとまず夫の要望を聞き入れて
手続きがスムーズに進むように努め
とにかく
事を荒立てず
息子達との絆を確保するべく
義母との関係を保つことにも注力した
息子達の
居場所もわかるし
連絡も取れるものの
まるで2人を
人質にとられているかのような感覚が
実は私の中にはあった
・
・
長男が小学校にあがるタイミングで
日本へ帰国させたいと
元夫に話し
いったんは了承を得たものの
こちらで学校のアレンジなどを終えてから
急に意見を覆されたり…
約束を反故にされる
煮え湯を飲むような出来事も
1度や2度ではなかった
あの時、3カ月先に行くことには
OKしたけれど
なぜ
息子達と一緒にいたい私が
離れて暮らさなければならないのか
息子達の日本帰国を元夫や元義母に
とめられなければならないのか…
考えても考えても答えは出ず
周りには私が望んで
息子達と離れているように見られ
心中は穏やかではない苦しい日々が続いた
・
・
息子達を訪ねて
何度その国へ往復しただろうか…
ある年のこと
高校生になった長男が突如
「高校が終わったら日本に行く」と
言い出した
私の意向でなく
長男本人の意思ということで
これまで首を縦に振らなかった義母が
息子達の日本への帰国をついに認めた
「ほんとにほんとに来たいの?」
「日本で何をしたいの?」
長男に問いたいことは
沢山あったけれど
冗談で口にしたのではないことは
わかっていたし
色々聞くことで
気持ちが変わってしまうのが怖くて
聞けなかった
しかし
長男のその一言から
息子達の帰国が
現実のものとなり始め
学校の手配や家探し
語学クラスや大学受験など
様々な準備に奔走する日々は
忙しくも嬉しかった
・
・
いよいよ帰国するために
出国ゲートを無事に通過し
初めて3人で搭乗する飛行機
長い旅路を経て
おかえりなさいと日本へ入国
緊張した面持ちの息子達と
身の引き締まる想いの私
10年以上の時を経て
ようやく親子3人で
日本での暮らしが始まるのだ
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