Akiko Hanai

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最近の記事

京都府議会のあゆみ-145年の歴史ー

1879年〈明治2年) 3月25日 府会開設(定員95人、各地区より5人選出) 3月30日 第一回府会を京都中学校正堂で開会(現府庁の地) *府会開設当初は議場がなかったため、さまざまな場所で開催していた 1881~1894 建仁寺方丈などを議場として使用していた 議長 山本覚馬(かくま) 第一回府会にて、投票により初代議長に選出。 目と足が不自由だったため、必要に応じ副議長に代行させると宣言し、議長に就任。 議会とはどういうものかもわからなかった初期の府会を見事運営

    • 石清水八幡宮            ~京都検定1級の勉強・備忘録~

      ご祭神東御前 神功皇后(息長帯比賣命〈おきながらしひめのみこと〉) 中御前 応神天皇(誉田別命〈ほんだわけのみこと〉) 西御前 比咩大神〈ひめおおかみ〉         (多紀理毘賣命〈たぎりびめのみこと〉)         (市寸島姫命〈いちきしまひめのみこと〉)         (多岐津毘賣命〈たぎつひめのみこと〉) 社殿本殿は現存する中で最古にて最大の八幡造 織田信長の修復、豊臣秀吉の回廊再建、秀頼の社殿再建、徳川家光により社殿が造営されている。本殿を含む十棟及び棟札

      • 法然上人ゆかりの寺 清浄華院 京都検定1級公開問題

        浄土宗京都四ヵ本山の一つ。 【由来】四宗(天台・密教・円頓戒・浄土教)兼学道場として禁裏内に開山された。 「浄土に咲く蓮の花のように、 清らかな修行ができる場所」というのが由来。 山号・寺号はなく「浄華院」と略す。 【歴史】平安時代の貞観二年(八六〇)、清和天皇の勅願で円仁(慈覚大師)が開山。 その後、平安時代末期の承安五年(1175)、比叡山から下りてきて、念仏を称えることこそが唯一の救いの道と唱えた法然が、時の天皇に触れようとする。 後白河法皇は法然を宮中に呼び教え

        • 法然ゆかりの寺 金戒光明寺(黒谷さん) 京都検定1級 公開問題

            〈由来〉 比叡山を出た法然が承安五年(1175)に師の叡空から、この地にあった比叡山の白河禅房を譲られ、念仏道場としたのに由来するという。 法然の没後、紫雲山光明寺となった。さらに、後光厳天皇から「金戒」の文字を賜り、現称となった。 〈境内〉 伽藍は応仁・文明の乱以後、再々焼失したが、その都度再興された。三重塔〈重要文化財〉は、徳川秀忠の菩提を弔うために寛永十年(一六三三)に建てられた。幕末、松平容保率いる会津藩の本陣であり、山上墓地には会津藩殉難者墓地がある。

          法然上人1~京都検定1級公開問題~

          今年度、法然が開宗した浄土宗は850年を迎えます。 今年12月の京都検定1級の公開問題は法然上人。 法然、浄土宗、また浄土宗寺院について学んだことも書いていきます。 生い立ちと出家 法燃上人、正式名法然房源空。諱 源空 幼名 勢至丸 長承2年(1133)4月7日 美作国(現岡山県)久米の押領使・漆間時国と母・秦氏君清刀自の子として生まれる。 出家には諸説あり。 『四十八巻伝』より 保延7年(1141)9歳 父が夜討ちを受け殺害される。菩提寺の僧・観覚のすすめにより、比叡山

          法然上人1~京都検定1級公開問題~

          京の伝統工芸 京焼・清水焼

          五条坂陶器まつり 8月7日~10日の間、京都・清水の五条坂では 五条坂陶器まつりが行われます。 全国最大規模の陶器市。 大正9年(1920)に五条坂の陶器工房などが六道珍皇寺のお精霊迎えや 西大谷にお詣りする善男善女の土産物として露店を出したことに始まります。 京焼・清水焼とは 京都で生産される陶磁器(陶器は「土物」、磁器は「石物」と呼ばれる)を を総称して京焼と呼び、清水焼はその代表。 江戸時代初期、御室に窯を築いた野々村仁清は色絵陶器によって京焼の釜に新風を吹き込

          京の伝統工芸 京焼・清水焼

          自己紹介 はじめまして

          京都在住のAkikoです。 京都が大好きでただいま京都・文化検定1級の勉強をしています。 ここでは勉強のアウトプットとして 京都の奥深い歴史から寺社仏閣、文化などの記事を書きます。 出身は東京ですが、京都が大好きで学生時代と今回で2度目の京都移住。 京都生粋でないからこそ気づく、視点でも記事を書いて生きたいと思います。「京都の良さ」は、ときに京都人には当たり前のことでも、よそ者だからこそ気づく、わかることがある。 ぜひ、京都生粋の方にも読んでいただきたいです。

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