京の伝統工芸 京焼・清水焼
五条坂陶器まつり
8月7日~10日の間、京都・清水の五条坂では
五条坂陶器まつりが行われます。
全国最大規模の陶器市。
大正9年(1920)に五条坂の陶器工房などが六道珍皇寺のお精霊迎えや
西大谷にお詣りする善男善女の土産物として露店を出したことに始まります。
京焼・清水焼とは
京都で生産される陶磁器(陶器は「土物」、磁器は「石物」と呼ばれる)を
を総称して京焼と呼び、清水焼はその代表。
江戸時代初期、御室に窯を築いた野々村仁清は色絵陶器によって京焼の釜に新風を吹き込み、名を高めた。仁清を継承する尾形乾山は年配になって鳴滝窯を築き制作し始めた。本阿弥光悦とは親戚関係であり、琳派の継承者でもあった。
その後、奥田潁川が粟田口で呉須(ごす)赤絵や染付の磁器を作り始め(古染付)、弟子の青木木米が日本独自の気品豊かな煎茶器などを残した。また、仁阿弥道八(にんなみどうはち)、永楽保全などが排出し、五条坂を中心とした清水焼の名前で知られる焼物へと展開される。
明治初期にはドイツのワグネル博士を招き、陶磁器や七宝の釉薬などに新技術を導入した。
京都は陶土に恵まれないため、滋賀県の信楽や、遠くの熊本県天草などから仕入れている。
焼成は、従来京式登り窯に寄っていたが、ガス窯、電気窯が主流のなり、また一部の陶工たちが住宅の密集する地域を避け、山科区の清水焼団地や宇治市の炭山工芸村に移転、大衆品から芸術性の高い陶器まで生産している。手造り、多品種であるところが他産地と異なる。
経済産業大臣指定伝統的工芸
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