同窓会にいこう@ひろしま【最終日】

次の日、起きたのは朝の9時30分であった。東横インの朝食は9時までだから、もう間に合わない。一人で2時近くまで飲む所業に若干の後悔を得ながら、慌てて荷造りをしてホテルをチェックアウトした。

この日は再度昨日のメンバーの数名と合流、縮景園を見ようという話になっていたのだ。広島駅前で合流し、何故か一人だけ足取りが重いという不思議な状況を見舞われながら、縮景園をめざした。


縮景園の庭

縮景園は八丁堀からほどちかい、もとは広島城主が持つ庭園だったそうだ。お庭は広く、池には鯉がたくさん泳いでいる。私はベンチに腰掛けて胃の気持ち悪さをかみしめながら、お庭を楽しんだ。かの有名な広島東洋カープは『鯉』をモチーフにした球団だが、ひょっとするとその鯉はこのお庭の鯉からきているのかしらん、と思わないこともない。

縮景園のコイ

その後に八丁堀で残りのメンバと合流し、広島風お好み焼きの店を探し歩き、空いていた店にはいる。二日酔いで大阪風の小麦粉たっぷりのお好み焼きは一枚食べられるか怪しかったが、幸いにもキャベツたっぷりの広島風であれば比較的さっぱりといただくことが出来、これはよかった。
ごはんによし、シメによし、そして二日酔いの翌日でもなんとか食べられる広島風のお好み焼きはなんともオールマイティなものである。

お好み焼きを食べた私たちはアーケードを歩き、おりづるタワーという建物を目指すことになった。原爆ドームの近くにある展望台らしい。

原爆ドームは小学生の修学旅行で行って以来だが、あの時と変わらず存在した。友達のTに教えてもらって気づいたのだが、この建物は川と反対側の後ろが湾曲したような形になっており、元々少し変わった形の建物だったそうだ。現存していても重文か少なくとも指定文化財にはされていただろう。


原爆ドーム

近くには原爆で倒壊を免れた商店を改めたレストハウスがあり、そこの二階には原爆投下前の平和記念公園の周りの様子のジオラマが展示されていた。この一体は小さな木造の建物が集まる街だったようで、広い公園となっている今からは考えられない様子がそこにはあった。

レストハウス

その後は原爆ドームのほど近くにあるおりづるタワーに登る。
大した高さがないのに入場料1600円には尻込みしたが、どうせということで入ってみた。展望台は広い屋上庭園のようになっていて、板張りの広間から平和記念公園と広島城が一望できるようになっている。秋や春には風が通って気持ちがよく、再入場もできるそうなので拠点休憩スポットとして活用すればよさそうだ。

おりづるタワーから平和記念資料館を眺める
広電も眺めることができる

併設されたカフェで買ったコーヒーを飲んでいると泊まった東横インから電話がかかってきた。どうも私は靴下の片一方を忘れていたらしい。取りに行けないこともないが、面倒なので処分してもらうようにお願いした。

しばらく風に当たりながら広電を見たり、工事中のサッカースタジアムの様子を見たりした後に、その1階下のフロアで折り鶴を折るメンツは折り鶴を折り、折らないものはそれを見学していた。

正直、観光気分で平和資料館に行くのはちょっと違うし、かといって広島に来て原爆ドームを見るだけというのも、という方にはちょうどいい施設だなと感じた。
折り鶴の折り方も親切に案内が出ており、皆無事に折って「折り鶴のかべ」と呼ばれるアートのようにおりづるが積み重なった壁に投入することができた。

このおりづるタワーの11階からはエレベータや階段の他に、滑り台で降りることもできる。

ソリのような布に乗って滑るのだが、降り場にはヘルメットや膝のプロテクターが準備されており、「お子様はご着用ください」と書いている。
最初は『何を大げさな』と思いつつ、流石に頭をぶつけるとシャレにならないとヘルメットだけ被って滑る。1600円も払ってここまで登ったのだから、これくらいのアトラクションは享受しないともったいない。

一方、他のメンバは「このえが滑っていればそれだけで面白い」「だから我々は遠慮する」といった雰囲気で、帯同してくれるものは居なかった。

準備もできたので、早速11階からのランデブーを開始した。

最初は思ったよりスピードが出てひやりとする。
しかも、腕が滑り台の柵と擦れて、痛い。流石に11階から一気に1階まで降りるのではなく、途中階には踊り場のようなものが設けられている。

2階分ほど降りたところでようやく、『右足で壁を蹴りながら回転する』という技を編み出し、腕と滑り台の柵が接触する問題は乗り越えられた。
「すべり台なんて重力加速度に応じて滑るだけだから楽だろう」とおもっていたのだが、思ったよりちゃんと姿勢を維持しないとあらぬ方向に激突しそうになるので、意外と体を使う。

11階から1階まで降りると相当長く、また意外と急なすべり台であるから速力も満点だ。体重の軽い子供ならうっかりすべり台から放出するかもしれず、上の階においてあったプロテクターが決して大げさなものではないのが理解できる。

まさか広島の都心でこんなスリリングなアトラクションに出くわすとは、と思いながら、無事1階に到着、なかなか疲れるすべり台であった。

おりづるタワーの辞した後は路面電車で広島駅へ、早めの新幹線で帰る連中を見送り、少し遅めの新幹線を撮っていたTと私は広島駅下で少し酒を飲んだ後に、それぞれ別の新幹線で帰途へついた。


『同窓会を広島でやる』と最初に聞いたときはなんで? と思ったものだが、行ってみると楽しいものであった。一般に同窓会とは夜に会を開いておしまい、が一般的だ。だが、今回のように一緒に観光を織り交ぜて移動すると会話する時間も増えるし、また新たな思い出が増えていいものだ。

もう我々も30代が見えてきて、家庭の都合などでこうやって集まることは出来ないのかもしれないが、よい広島訪問であった。

また、呉と広島、そして江田島と同時に行くことで、海軍さんの街であった呉、そして平和都市の広島との関係を比較すると、非常に複雑なものがあることを身を持って体感した。

日本における第二次世界大戦の開戦に際しては満州事変から続く軍内部の問題を含む複雑ないきさつがある。
ゆえに、ドイツのように戦争指導者が悪いと決めつけられない難しさがあるのは知っていた。それはやはりそれは街にしても同じことで、今はもう失くなった『海軍』さんを未だシンボルとしている呉と、本来陸軍の街であったがそれを一切上書きしている広島というのは、一つ対照的に捉えられるのではないだろうか。

本稿は特にそれを主題として書いているものではないからこれくらいにしておくが、戦争の残り香というのは尾を引くのだな、と書いてここは終わりにしたい。

なんにせよ、呉・宮島・広島というゴールデンコースが揃っていて、『広島メシ』はなべておいしい。関西からは新幹線で90分足らず、また誰かと旅行に行く機会があれば行きたいところである。

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