いかりスーパー夙川店と異世界

先日、用があって自家用車で芦屋の方に行く用事があり、せっかくだからとその近くのいかりスーパーへと寄り道をすることにした。寄り道の理由は単純で、晩酌のツマミを購入するためだ。

いかりスーパーをご存じない方に一応の説明をしておくと、いわゆる関東で言う紀伊國屋ライクな高級スーパーだ。わかりやすいところだと大阪駅の御堂筋口のコンコースに店を出していて、種々のエグゼクティブ感漂う食品を陳列していることで知られる。

いかりスーパーは高槻や千里丘の方にもあるが、我々京阪沿線には存在しない。我々の知っている高級食料品店とはせいぜい京阪電車のやっているフレストや京阪百貨店の食品売り場くらいのものだ。この夙川店来訪の前に高槻や千里丘の店へと寄ることはあり、ワインなどを購入したことがあるのだが、その高級感は京阪沿線のどこにもないもので、一つの感動を覚えた記憶がある。

まずいかりスーパーにはいわゆる『サッカー台』が存在しない。客が袋詰をすることを全く想定しておらず、レジには2人係員が立っている。1人は勘定係で、1人は袋詰係なのだ。私はこのタイプの『2人制レジ』を、他では高島屋の食品売り場くらいでしか見たことがない。

また、その袋詰がされる、「ikari」と文字の入った紙袋も非常に上質である。私もこの短い人生で様々な紙袋をもらったが、これ以上に立派な紙袋はヨドバシカメラでiPhoneを購入したときにもらった『雨カバー付きの紙袋』くらいのもので、少なくとも日用品を販売する店の紙袋としては日本一に値するのではないかという堅牢な作りをしている。紙袋に堅牢という言葉を使うのははなただおかしいのだが、その言葉くらいしか見当たらない程度に立派なのだ。

さて、話を夙川に戻そう。

私は阪急夙川駅の横にある交差点を右に入って、山の方へと車を進めた。この県道なのか市道なのかよくわからない道、すれ違う自動車の3台に2台が外車という有様で、国産コンパクトカーに乗っている私は早速洗礼を受ける。

このあたりはライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』の舞台が近い。彼ら彼女らも家のガレージには決してスズキやダイハツではなく、BMWやフォルクスワーゲンが停まっているのだろうかなどと思案していると、右手に「ikari」の文字が見えた。いかりスーパー夙川店だ。

しかし、店の前を通っても、駐車場がよくわからない。

Uターンしようと一つ向こうの交差点からくるりと路地へと入る。すると、運がいいことに「いかり第二駐車場」が目の前に現れた。このとき、なんだか違和感を感じたのだが、無事入庫できた安心感がそれに勝り、そのまま気にせず自動車を車庫に納めた。

早速、車を降りて店内へと入る。

店内は一見、普通の中規模な食品スーパーである。しかし、夕方遅くに来訪しても入り口の野菜売り場は整然を保たれており、仕事終わりに行くと買い占めにでも遭ったのかという惨状を見せる近所の万代とは雲泥の差がある。私はツマミを買いたいので早速惣菜売り場へと足を運ぶ。

この日私は、松花堂弁当のように少量のおかずが9つつまった和風惣菜と、切り落としのローストビーフを購入した。

双方とも帰宅し酒を飲みながら食べたが、程よい上品な味付け――まあ、要するにちょっと薄いなと言う点もあるのだが――の中に油の乗った鰆の西京漬けなどアクセントになる食材が散りばめられており、価格(千円)を顧みてもコスパの良い商品だったと思う。また、ローストビーフも程よい量で売られており、さっぱりとしていてよかった。京阪百貨店などで買うと対面販売になるから、少量はちょっと買いにくいなと思わないこともない。

さて、ツマミの確保に成功したら酒である。

ところがこの店、酒売り場がとても狭い。什器一個分くらいしかないのだ。

そのスペースもあってか、安酒の代表ストロングゼロなどは姿がなく、かろうじて一番搾りとアサヒスーパードライが身を寄せながら冷蔵棚の角に陳列されていた。高槻や千里のいかりではストロングゼロもかろうじて陳列されていたのだが、どうも夙川では役不足らしく、陳列されていないようだ。

もっとも、この処置は「夙川の民はスーパーなどで酒を買わず、馴染みの酒屋の配達をつかっているから、酒は売れない」という可能性も十分にある。このあたりは坂が大変に厳しいし、奥様方もワインやビールを抱えて帰宅というのもしんどいだろう。餅は餅屋、酒は酒屋。十分察せられるところである。

結局、私はそこで、ikari謹製、櫻正宗醸造のお酒を買った。正直少し甘いなという印象が強いお酒だったが、苦手な人のことと価格を考えると、バランスの取れたお酒だったように記憶している。ビールは帰りしなにコンビニで購入することにした。

それにしてもやはりいかりスーパーは他の高級『風』スーパーとは一線を画している。日用品売り場のティッシュは『鼻セレブ』しか置いていないし、納豆売り場にはおなじみのメーカー製の納豆はなく、一パック200円前後の何やらありがたそうな納豆が置いてある。これらの商品も、百貨店では有名メーカーのものを一つは置いているだろう。それを排除してでも売り場の雰囲気を作る点には、いかりスーパーの美学を感じられる。

私は早々と買い物を済ませ、レジで袋詰をしてもらう。子供が店内でにぎやかにしているのは他のスーパーと変わらず、逆に安心した。これで子供までシンとおとなしく親の買い物に付き合っていたら、一周回って不気味さすらある。

買い物を終え駐車場に戻ろうとすると、第一駐車場の存在を発見した。第二駐車場は駐車券を取って入庫する普通の駐車場なのだが、なんと第一駐車場は二〇台も止められない広さであるのに、係のおっちゃんが小屋に詰めている。その平面駐車場の上には月極駐車場よろしく屋根が据え付けられていて、雨の日にトランクへものを入れても濡れないよう、と配慮がなされていることに、一つの感動を得た。

高級感を出すスーパーや飲食店、というのはいろいろある。けれども、そこに一切の妥協を表さず、かつ利便性にも徹している。その点において、私の知る限りいかりスーパーの右に出る店はないのではないだろうか。こんなところに、GUで買った安い服なんかで来てよかったのだろうかとエンジンを掛けて車を出口へと動かす。

その時だ。

私は出口が一瞬わからなくなって、車を止めた。

というのも、出口の右側に精算機があることは当然として、なぜか左側にも精算機がある。しかし、そのさらに左側に道路はない。ひょっとして、これは入口兼用だったり、なんなら二つ目の入口と間違えているのかなと思案する。しかし、矢印はそこが出口だと示しているし、入ってきた入口はてんで別の方向にある。

私は恐る恐る車を精算機の右につけて、左を見て驚愕した。

――なんと、左にも精算機があったのだ。

私は左に精算機があるところを、高速道路の料金所以外に見たことがない。普通、左ハンドル車に乗っている人は、助手席に乗っている人に頼むか、それとも降りて自分の手で精算機へと歩を進める必要があるものだ。ところがこのいかりスーパーではお客様にそんなせせこましいことを要求しない。ハンドルが左にあるなら左に精算機をおけばいいじゃない、そういうところなのだ。

そもそも、左ハンドル車は昔に比べると激減している。その時代にこのような設備を設けているというのも、この夙川という地が特別な場所であることも示しているだろう。身を持って「令和に残る阪神間モダニズム」という言葉を感じられる地、それがいかりスーパー夙川店なのだ。

身近な異世界。私の脳裏にはふとそんな言葉が浮かんだ。

私は遠出ぜずとも、阪神高速神戸線を途中下車するだけで異世界へは訪ねられるのだなという深いため息を付きながら、甲山を越えて、西宮北ICから新名神に乗って帰路へと就いた。

※追記:書いた後にいかりスーパーのホームページを確認すると、夙川店のほど近いところに「ラ・グルメゾン」という酒を専門に扱う別館のようなものがあるとのこと。酒の取り扱いが少なかったのはどうもそれが原因のようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?