見出し画像

ラブコメで学ぼう書店業 1-1

『戦場』の朝①

 書店員の朝は早い。というほどでもないかもしれない。
 現時刻は8時50分。ここ『善神堂(ぜんじんどう)書店』は10時開店だから、つまりスタッフの出勤は1時間前ということになる。もっと早いとこは朝6時とか7時とかから準備しているみたいだから、そういうとこと比べたらまだマシだと思う。

 事務所──といっても人ひとりが通れるかどうかというような通路がかろうじて確保されているにすぎないようなスペース──で『発見! 鹿渡川(カドガワ)文庫』と書かれたエプロンに袖を通し、売り場へと向かう。

 さて。ここから開店までは本当に時間との闘いだ。
 なぜってそりゃあ、それまでにその日にきた雑誌や文庫やらマンガやら、なるべく開店前に全部出さないといけないからだ。
 これがなかなか骨の折れる作業で、1時間なんて案外すぐ経ってしまう。入荷の多い日なんかだとまあまず間に合わない。
 私語なんてしている暇は、あろうはずもない。あろうはずもないのだ──

「おはようございます。せんぱい」
「おっ、おはよう……鴫野(しぎの)さん」

 声をかけられ、返答がたどたどしくなってしまうぼく。
 彼女は鴫野(しぎの)甘菜(かんな)ちゃん。
 大学1年。
 『せんぱい』呼びするが、この店では彼女のほうが先輩だったりする。
 いささか不揃いめのセミロングが今日も似合う。
 クラスにひとりはいた目立たないタイプの子だ。
 
 こんな仕事だから着飾ったりはあまりしないんだけどぼくは知っている、彼女は誰よりもかわいい。いっしょにいると否が応にも意識してしまう。

 ぼくはこの感情の正体を知っている。
 だけどそれを口にすることは、できずにいる。
 しどろもどろになりながらも、会話を取り繕おうと試みる。

「平日勤務はめ、珍しいね。て、店長は?」
「10時前には来るって言ってましたよ、きのう」
「そ、そうなんだ……」

「ちょっとこなさま~~よかったやない。甘菜ちゃんと2人っきりなんて」

 こいつは堂島(どうじま)お初。自称守護霊。
 もっとも、守護してもらった試しなんてないが。

「お前がいるから3人だけどな」 

 和服を着ているこの幽霊は江戸時代の人だったそうで、『曽根崎心中』を真に受けて本当に心中してしまったが未練が残ってこの世に存在しているらしい。
 かなり昔『失楽園』っていう小説の影響で不倫が流行したらしいけど、その江戸版といったところか。
 どうでもいいけどなんでぼくに憑いてるんだよ、って愚痴のひとつでも言いたくもなる。

「お初さんもおはようございます」
「あら~おおきに。やっぱ甘菜ちゃんはええ子やねぇ~。そこの悪態つきとちごうて」
「……悪かったな」
 
 もはやさらっと流しているが、鴫野さんもいわゆる「みえるひと」だ。
 実家が神社だとか、そういう家系らしい。ある意味ぼくと鴫野さんの2人(+浮遊体1)だからこそこうして堂々と話したりができるわけだけど。
 とりあえずぼくはあらかじめドライバーさんが深夜に届けてくれた雑誌の梱包(こんぽう)を手に取り、ひとつずつ開いて平台に重ねていく。

「無駄口してないで作業するぞ。私語してる暇なんてないんだからな」
「ちぇ~いけずぅ」
「お前は気楽でいいものだけど、いいか書店ってのは常在戦場なんだよ」
「あーあーまた始まってもうた……」

「あらかじめ配達の人が届けてくれた梱包。ビニールにくるまれている雑誌のだけでもそれなりなのに、書籍(しょせき)の段ボールなんかも発注ぶん含めて台車にどんどんどんと積まれている。そこから新刊だけ仕分けして、スペースを確保したうえで売り場に出す……ほかにもまだまだやることはあるのに……」
 
 前いた中規模くらいのとこだと朝のスタッフだけで7人くらいいたから、自分の担当のコーナーだけいじれればよかったんだけど、ここみたいな小規模な書店だとせいぜい2人、店長入れて3人が限度だ。
 つまりは全部の作業を最小に近い人員で捌かなきゃいけないんだ。
 おしゃべり幽霊の手さえも借りたいくらいだよ。

 といってもきょうは月のまんなか。
 店長が開店前に来ても大丈夫そうな作業量。
 つまり実はまだだいぶマシなほうなんだけどね。
 このくらい言っておかないとこいつは止まらないのだ。

「あ、せんぱい。ひも切り用のカッターはどこにありますか?」
「え? あ、ああ、あれは確かレジの方に入ってすぐの──」
 
 ──誰に対して言っているのかわからないが、釈明させていただきたい。
 レジスペースへの入り口は狭くなっている。だから2人して一緒に入ろうとしたら互いの身体が接触してしまったんだ。
 わざとじゃない天地神妙に誓って本当だよ!

「ご、ごめん……」
「い、いえ……」
 
 分厚いエプロン越しでも胸の起伏って小さくってもはっきりわかるものなんだという本質情報。やわらかな感触にぼくは平静を保つのに必死だった。互いに動けず、気まずい時間が流れる。

「あら~? あらあら~~??」

 目ざとい幽霊がちょっかいを入れてきて一気に恥ずかしくなってくる。

「こなさんあきまへんよ、朝からそんな、うちもおるのに」
「お、お前~~~~っ!!」
「おお、怒った怒ったこわいこわい。あんまり身を乗り出すとそこに積んでる『まんが』の山が崩れてしまいますえ?」
「くっ……おまっ……」
「ふふ、ほんとこなさまは飽きないです。それより、も。うちなんかに構うてないで、お仕事に集中なさってはいかがどすか? 常在戦場なんでございましょう?」
「……っっ!」
 
 この京女……お前が今うちで読んでるラノベ没収してやろうか。
 しかしおしゃべり幽霊のおかげでしなければならないことを思い出した。

「わかってるよ……! 間に合うのも間に合わなくなるからな……!」
「せ、せんぱい、わたしも手伝います……!」
 
 書店員にはおなじみ、水色の安全ひも切りカッター。それを棚から取り出しぼくのすぐ後ろをちょこんと付いてくる鴫野さん(かわいい)


 時間との闘い。
 やることが多い常在戦場の書店というお仕事。
 でもぼくはこの子といっしょなら、乗り切れると思うんだ。

「はぁ~~ん、よきよき。『らぶこめ』の波動を感じますわぁ~~~~~」

 あ、お前はいらないです。マジで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?