絶望反駁少女 希望のビジュタリア I-1
1 逸脱者
市街地を少し外れた、なんでもない路地。
そのマンホールの下には貧民街が広がっている。
放棄された下水道路のごく狭いスペースに雑居し、時にはパーティすら開かれる。そこではボスが金銭やモノの管理をしており、その命令は絶対なのだそうだ。
ヤツらのような存在はシステムからの『逸脱者』──デヴィアトルと称される。
「なんだァてめェ……見ない顔だな。新入りか?」
ハシゴを降りていたら、その下から何者かの声がする。
ならず者の典型といった風体の男。見張り役か。ご苦労なことだ。
「ここのボスはどこだ?」
「おっと。ボスにお目通しする前に、渡すものがあるんじゃねェか? ええ?」
なるほど、チップというやつか。
電子通貨ヴォンニィの恩恵に浴していないといまだかように前時代的な文化が残るらしい。感動すら覚える。
「……あいにく紙の持ち合わせがないんでね。これなら渡せるが」
端末を放り投げる。
それを受け取って操作したゴロツキの目の色が変わる。
「こんな大金……何者だ!?」
「ここではそんな詮索はしない決まりだろう? こんなのは端金だ。もう一度聞こう、ボスはどこだ?」
「へ、へぇ。そうですね兄貴、ご案内しやすぜ、へへッ……」
急にヘコヘコしだす。わかりやすい奴だ。
天井にギリギリ頭がこすれるか否か、というところに、粗末な布切れで仕切られた生活スペースが左右にあるものだから、まさに道なき道だが……豆電球をつなげたようなチャチなものながら電気を通しているのは驚きだ。
「オラッ、お客様の邪魔にならないようにしろ!」
「す、すみません……」
こどもを抱いた年若い女が足蹴にされる。
こどもが泣き叫ぶ。
「すみませんすみません……」
謝り倒す女。
「うるせェガキだなァ……黙らせろ!」
「は、はいっ……すみません……!」
必死にこどもの口を押さえて声を出させないようにする女。
ここまで立場が弱いとなると……やはり情報は本当のようだ。
ここのボスは、セルティ──セルティフィカットと呼ばれる、本来は6歳以上の国民一人ひとりが所持義務のある携帯端末を取り上げ、他人のヴォンニィを不正に受け取り私腹を肥やしている。
こうしてこんなところに住まわねばならぬということは、表では生きられぬ何かしらの事情がある親子なのだろうが……このような搾取を受けていい理由などあろうはずもない。
「ボス。お客様です」
下水路のいちばん奥の壁のところにふんぞり返っている痩せ型の男。
ボスのスペースだけはまるでシャンデリアで照らされたかのような、過剰なほどの照明。ここでは強い光を使えるということが権威付けに使われているのか。まるで火をあがめ奉る古代アニミズムの起こりを見ているようだ。
「あァ……!? こんなとこに、お客様だァ……!?」
「この方、かなりの額のヴォンニィを持ってますよ。それをボスに、と」
ゴロツキが先程差し出したセルティの画面を見せる。
「……これだけの額を持っていればどこにだって行けるだろう。それでもここに吸い寄せられたとなると……オメェも陽の当たる場所にいられないってとこみてェだな」
……陽の当たる場所にはいられない、か。
「そんなところだ」
確かに、な……
だが、お前らとは違う理由でな。
「ぼ、ボスぅ!? て、てめェ……!」
ああ、今この壁にめり込んでピクピクしてる男のことをまだボスと呼ぶのか。今こいつは無残に敗北してボスたる資格を失ったというのに見上げた忠誠心じゃないか。
「……てめェ、ま、まさか……ディアントスか!?」
ディアントス──撫子を護るための隠密部隊。
なんでも陰で我が国ビジュタリアの治安を守っているらしいが。
「知らんな。ただオレはフリーでやらせてもらってるだけさ」
「──?! あ、あがッ……!? く、首が……な、なぜだ、一体どこから……」
「オレは大地に数多く眠っている『根』を自由に操ることができる。だからこうしてオレが直接手を下さずとも、お前の後ろから縛り付けることもできるというわけだ」
「……クジェニア、か……てめェが……!」
「そういうことだ。これを話したということは……どういうことかわかるな?」
「……ぐぎ……や、やめてくれ……殺さないで……ころ…さ……な……」
ガクリと、ゴロツキは意識を失う。
「……殺さないさ」
そう、『逸脱者』殲滅のためには、こんなところで殺しても意味がない。
これから送られるところではこんなものじゃ済まない拷問が待っている。
そこで洗いざらい話して人の形をとどめぬ肉片へと成り果てるんだな。
先程男たちに見せた端末を回収する。
「よくできてるだろ? それっぽく動くニセモノ。特注なんだぜ? アプリの起動なんかほぼそのまんま。お前らに生命にも等しい端末をおいそれと渡すものかよ……って、聞いてないか」
さすがにここまで圧倒的な力の差を見せつければ、襲ってこようという気概を持つ者もいないようだ。
去り際に見たさきほどの親子は、ボスやゴロツキよりもおっかないものを見たとばかりに、ただ無言でガクガクと身を震わせていた。
公衆トイレで着替えを済ませ、何事もなかったかのように路地を歩く。
まだ日差しが眩しい時間帯だ。陽の当たる場所にはいられない、だとか言われたばかりなだけに、なんだか変な気持ちにもなる。
……まったく、今日はまたいちだんと窮屈な場所だったな。
それにしても──町を歩いていても飛び交ってくるのは異国の言葉ばかり。
本当に、観光地でもなんでもない、ごく普通の市街地、住宅街でも、外国人を見かけることが多くなった。いや、むしろ高齢者以外で、自国民を目にすることのほうが少ない。
それもそのはず、1億人の人口の半分は60歳以上の高齢者。
外国人が占める割合はそのさらに半分、全人口の4分の1にものぼる。
見かけ上は先進国だが、貧困層は多く、およそ半数は潜在的な貧困状態にあるとされる。一方で富裕層はいっそう肥え太り、格差が広がっている。
かつてはもっとも治安がよいとされたがそれも悪化、社会不安が増大している。
それがビジュタリア──正式名称クライ・ビジュタリーの、目を背けたくなる現実なのだ。
そしてここ首都『極東都』ことストリーチャ。
人の往来こそあるが、時折見かける我が国の人々はみな一様にうつむいており、都市に活気がないのがわかる。なまじ壮麗な摩天楼が立ち並び、町並みも整備されているだけに、空虚さばかりが際立つ。
どうせ何も変わらない。
多くの人はそのように諦めながら、冷笑とともに、代わり映えのしない日常を過ごしているのだろう。
「──誰がやっても同じ。どうせ何も変わらない。絶望感と閉塞感が蔓延し未来が見通せない中、誰かが、誰かが! このビジュタリアにあるべき希望を描かなければいけないんです!」
街頭演説、か。
学生だろうか。ずいぶん若々しい女の声だが──?
普段はそのまま通り過ぎるのだが、興味本位でチラッと野次馬する。
そこで目にしたのは。ニュースでも度々目にする顔。
「いいですか皆さん。誰がやっても同じ、ではないのです。そうして流されるままよく知りもしない人達に国の舵取りを任せビジュタリアはどうなりましたか? それを思い出していただきたい。ご高齢のみなさまもそうですが、何より若い人が暮らしやすい世の中にしなければなりません。みなさま願わくば、わたくしにもっと力を! みなさま、特に若い方々のお力添えを賜りたいのです!」
顔に似合わず、場数を踏んでいる。
一色(いっしき)霞(カスミ)。
ビジュタリア国首相・一色昶(アキラ)の孫娘にして、なんだったか、確かなんかの国際組織の特任大使だったか? 金髪碧眼。容姿端麗。そして祖父譲りと思われる、見るものを惹き付ける圧倒的なカリスマ性。神は二物どころか、あらゆる美点を惜しみなく与え給うた感がある。
さながら娘の発表会を見たかのように感心していたが……
「消えろ! 国を売り渡した張本人が!」
野次を送ると共に、聴衆をかきわけ少女へと迫ろうとする男が現れる。
突如として張り詰めた空気になる。
「お前のとこのジジイのせいで俺は外国人に仕事を奪われた! お前らのやろうとしていることは希望でも救済でもない! 亡国だ!」
集まっていた人の一部が、警備をものともせず、どんどん彼女の逃げ場をなくすように取り囲んでいく。この統制の取れた感じ、素人ではない。
……仕事が片付いたと思えば期せずしてまたこんな現場か……なんて日だ!
「──ビジュタリアに、昔日の栄光を!」
短刀を懐から出し、少女に襲いかかる暴漢。くそっ、間に合わない、か!?
「ぎゃああああ!! 目が! 目がァァ!!」
暴漢が額を押さえ、のたうち回る。
まったく触れもせず……いったい、何をした!?
と、こちらが状況を把握する間もなく。
「──はぁっ!!」
閉じ込めようと輪を狭めてきた人たちをなぎ倒す回し蹴り。
彼女を襲撃したグループはたまらず散り散りに逃走していった。
最初に凶器で襲いかかろうとした男もその場で取り押さえられ連行されていった。
どよめく周囲をよそに少女は何事もなかったように演説を再開する。
「……みなさん、お怪我はなかったでしょうか? お騒がせしました。ご覧頂きましたでしょうか、みなさま。わたくし達は、かような暴力に訴える者たちに屈してはならないのです!」
湧き上がる歓声。万雷の拍手。
異様なほどのボルテージに支配されていた。
……なんてこった。
容易な相手ではなかろうに、たった一人で撃退したどころか、それを逆手に取って完全に自分のフィールドに全員を引きずり込むとは。
いや……突発的な奇襲をあれほど容易に対処できるものなのか!?
この状況自体が政敵を陥れるためにでっち上げた舞台なのでは……!?
と疑いたくなってしまうほどの鮮やかなお手並みだった。
だが──事態はこれで終わりではなかった。
オレのわずか後方からだろうか。
先ほどとは別の連中だろうか、怪しげな動きをしていると思っていたが、突如、輪の中心に向かって何かを放り投げた。
「!? しまっ──」
火炎瓶!? 古典的な……!
だが……あんなものがあの輪の中に入ったら……!
「うぉぉぉぉ────────ッッ!!」
気づけばオレは、根を足に巻き付け高く飛び上がっていた。
地中の根を展開する時に掘り起こされた土砂で瓶を覆い、火を沈めてから抱え込む。
「……ふう。間に合ってよかった……」
だが──その後の着地までは頭から飛んでいた。
思えば、高い地点からそのまま地面に倒れ込んだにしてはずいぶん感触が柔らかいと思っていたんだ。
「……いい加減、離れてくださらないかしら?」
「え……? あ、す、すまん……」
どうやらオレは一色カスミの胸へとダイブしていたらしい。
いや、そうはならんだろ……とツッコみたくもなるが、そうなってるのだから仕方がない。そう、仕方がなかったんだ。
──これがボディーガードとして仕えることになる一色カスミとの出逢いだった。
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