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姉がレディコミを読まなくなった

幼き反発

 ずっと隠しているつもりだったようだけど、わたしは姉の秘密を知っていた。

 夜になると姉は、今はほとんど使われることのない固定電話を片手に、太いマンガ雑誌を読みながら、声を押し殺して身もだえしていた。

 

 その時の姉の顔は、ほのかに上気していた。

 最初は姉が何をしているのか、わたしはまったく知らなかった。

 だけど、わたしが寝たのを見計らってしているということは、わたしに見せたくないような、いけないことなんだなということは最初からなんとなく勘付いていた。 

 その時姉が寝そべりながら食い入るように見ていた、辞書よりもボミューミーなそれのことをレディースコミック、通称「レディコミ」と呼ぶことは、あとから知った。

 わたしは姉の別の顔の正体が知りたかった。

 そんなある日。姉は深い眠りに落ちていたようで、頃合いを見計らって学校に行ったフリをして帰ってきたわたしに気がついていないようであった。

 

 こんな時間まで眠っているなんてまったくだらしないなあと、パンツ姿で無防備な姉にバツの悪さを感じながらも、好機とばかりに、わたしはその未知の雑誌を手に取ってみた。

 

 ……それは、これまで目にしていた少女マンガにはなかった、「先」のお話だった。

 美しい花々を背にしながら、女の人と男の人が、互いの身体を寄せ合っている姿が幻想的に、それでいてどこかリアルに描かれていた。

 愛とか、小さなわたしにはわからなかった。

 少女マンガにあるような、男子にときめくような感覚さえも経験したことのなかったわたしにとって、それは、まさしく完全に理解のはるか先にあるお話だったのだ。

 

 ああこれはわたしにはまだ早い。目を離してしまいたい。

 

 けれども不思議と、どうしてもそこから瞳をそらすことができなかった。

 たまに行く学校では、男子が親の目を盗んでえっちなものを見ていたりする話で盛り上がっているようだけれど、その時こういう気持ちなのかもしれないな、とこどもなりに考えた。

 

 幼いなりに何かプライドめいたものを抱いていたのか、はたまた防衛機制か、それともただの嫌悪感なのか――こんなものを受け入れるわけにはいかない、という心理をはたらかせていた。

 

 こんなもの、きたないものをなんとかして美しく見せようとしているだけじゃないか。

 こんなものを夜に読みふけっている姉のことを心底軽蔑した。

 しかもこんな本が1冊2冊じゃないのである。毎月山のように買ってきては、押し入れの中に乱雑に積まれているのだ。その急増ぶりはとどまることを知らず、呆れるほどだ。

 いくら我が家では布団を敷きっぱなしにしていて、普段顧みられることがない場所だとはいえ、これで隠しているつもりなのだろうか。だとしたら、やはり姉は不用意というか、浅はかすぎる。

 

 どうして、どうして――!?

 

 わたしには、当時どうしても理解できなかった。

 

 ともあれこの当時、わたしと姉は、互いに秘密にしながらも、あの破廉恥な雑誌から切っても切り離せなかった、ということだけはいうことができると思う。

 その日も変わらず姉は荒々しい息づかいで、夜を明かす。

 ……姉はわたしの知らない通話ごしの相手と、あのマンガに書いてあるようなことを想像しながら、わたしには見せない顔を浮かべているのだろうか。

 それは、そんなに気持ちのいいことなのだろうか……?

 でもそんな姉からは愛だの快楽だの、そんな感情を見いだすことができなかった。なんだか望まぬままに必死に演じているような……そんなぎこちなさもまた、わたしには見て取れたのだ。

 

 ならばなおさら、なぜわざわざそんなことを……!? 

 それが、ことさらに嫌悪感をかきたてられた理由なのかもしれない。

 姉にはいつもふたりで一緒に買い物に行くときに見せてくれる、あの笑顔のままであってほしかったのに。

 

 レディースコミックを山のように買ってきては夜な夜な艶めかしい声をあげる姉のことをわたしはえっちな人だと思っていた。

 そんな姉は、嫌いだった。

 

 そして、そんな姉の秘密を覗き見するようなマネをやめられなかった悪趣味な女のことも、わたしは――もっっともっと、嫌いだった。 

姉の、知らない顔

――それからおよそ20年の時が流れた。

 

 小さいながらも内装は絢爛な結婚式場。シャンデリアから降り注ぐまばゆい光。整然と並べられた披露宴の席には、わたしたちの新たな門出を祝福に来てくださった人で埋め尽くされている。

 でもそれはほぼすべて新郎側――わたしの旦那の知り合いなのだ。

 わたしの夫となってくれるこのひとはほんとうに、とても多くの人を大切にし、また大切にしてきたのだろう。彼の人柄の良さがうかがえる。

 ほんとうに、なんでわたしなんかを――

 

 新婦――わたしの側から参加してくれたのは姉とその旦那さん夫妻と、姉の旦那さんの知り合いの方がわずかにいらっしゃるだけ。

 あちらの旦那さんが気を遣って何人かお知り合いを連れてきてくださったのだろう。わたしと姉にはほんとうに、このような場に来てくれる人はいないから。

 わたしと姉は天涯孤独だったのだ。

 

 新郎のお父上のスピーチが終わり盛大な拍手の音が響きわたる。

 式場が感動と穏やかさに包まれる中、いよいよ次は新婦側――わたしの姉のスピーチの番が回ってきた。

 万雷の拍手の余韻を残したまま、会場は静まりかえる。

 ……わたしはこれまで、どんなに苦しいときも涙を一切見せてこなかった姉を見てきた。自分の結婚式でさえいっさい涙を見せなかった姉だ。わたしたちには涙は似合わない。

 

 だけど。

 これまで。

 家のどんな短い距離を歩くときでも背筋をピシッとしていた姉が。わたしに一切愚痴の一つこぼさず、弱みを一切見せなかった姉が。どんなことがあっても涙を見せなかった姉が、どういうことだろうか。

 マイクのある位置に歩を進めるだけだというのに、背中は丸まり、おぼつかない足取りではないか。見ているこちらがハラハラして、心配になってしまうほどである。

 ……こんな姉、見たことがない。

「結婚おめでとう、睦美」

 たった一言、しゃべっただけである。スポットライトに照らされた姉の頬からとめどなくしたたり落ちる涙が、小さく瞬く。

 気付けば私の頬からも、熱いものが伝っていくのがわかった。

 けして泣くまいと思っていたのに。 

 

 そして姉はわたしと過ごした半生を、噛みしめるように読み上げていく。

 わたしと姉の、ひどくありふれた身の上を。

制服を脱いだ思春期のテレフォニー

(中略)

 

 ――1998年。世界は終わるとか終わらないとか言われていたその時代に、私と妹の人生は終わりかけていました。

 それは夢見がちな思春期の物語としてではなく、どうしようもなくリアルで、身も蓋もない形で。

 

 それは何かと申しますと、貧困です。

 

 私と妹はその年、母と死別しました。

 

 父はいません。今から10年ほど前に、死んだと聞きました。

 父はよく暴力を振るう人でした。ありふれた話です。ある日、母は私と妹を連れ逃げ出しました。……ひどく、ありふれた話です。

 

 母は幼かった私と妹を女手一つで育てました。朝早く仕事に出、夜遅くに帰ってくる。そんな生活が何年と続きました。元々身体がそれほど強くはなかった母です。無理がたたってしまったのでしょう。

 母はある日突然倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

 私と妹、2人だけが取り残されてしまったのです。

 

 シングルマザーという言葉がまだ一般的ではなく、世間の目も冷たかった時代です。

 当たり前のように母と父がいて、家族全員で卓を囲ってご飯を食べて。

 私と妹にはそんな当たり前がなかったのです。

 

 私は通わせてもらっていた公立の高校を退学し、まだ小学生だった妹を育てる決心をしました。

 何も悩むことはありませんでした。学費の捻出に苦しかっただろうに2年も通わせてもらっていたのです。私はどうとでもなる。けれど小学生の妹は、この状況の中どうすることもできない。

 妹の人生が貧困のレールに敷かれ、選択肢がひどく狭まることだけはなんとしても避けたかったのです。

 

 

 妹は内気で人見知りする子でした。今の妹を知る人からすれば信じられないかもしれませんが、毎日のように私のところに擦り寄ってきては、泣きはらしていたものです。

 きっと、よくないことがあったのでしょう。妹は学校を休みがちでした。

 私にはウソをついて家だけを出て、あとは公園だとか、どこかで時間を潰していたようです。心配した先生からよく電話をもらっていたものです。

 

 私はこのままではいけないと思いました。

 できるだけ妹と一緒にいられる時間を作ってあげたい。

 それには妹の生活時間にすべてを合わせる必要がありました。

 でも母のように朝から晩まで働き通しでは、何かあったときに駆けつけることができない。

 悩んだ末、私が選んだのは、いわゆる「夜の仕事」でした。

 その昔、「テレフォンクラブ」という業務形態があったのを――いえ、ご存じでないのならば、その方が健全でよろしいでしょう。

 

 在宅でできる。夜働くだけで高収入。

 私にとって、これ以上の好条件はありませんでした。

 妹が学校に通っている間に寝て、帰ってきたら一緒に買い物に出かけて、一緒にご飯を食べる。そして妹の就寝を見届けてから、私は夜に仕事に入り、翌朝にまた妹を学校に送り出す。

 このような生活が、およそ3年間――妹が中学に入る頃まで続けられました。

 毎日一緒に登校し、まずは保健室やカウンセラーさんのところに通わせるところで慣れさせて、先生とのコミュニケーションなどを図りました。

 幸い徐々にではありますが、クラスにも顔を出せるまでになり、友達もでき、ついには登校拒否もなくなりました。 

 

 「風俗」まがいの汚い仕事をしていた女だと嗤っていただいて構いません。

 ですが、比較的自由に時間が取れたおかげで、母の生きていた頃よりも妹とのコミュニケーションを図ることができるようになり、精神的な距離は確実に縮まりました。

 本当に小さな頃から諦めきったような、曇った顔ばかりをしていた妹にも徐々に笑顔が見られるようになっていったのです。

  

 その後の妹については、私個人の目から見させていただきましても、非常に恵まれた学校生活を送っていたのではないかなと思います。

 (中略)

 妹を無事に大学まで出させてあげられたのは、私の数少ない誇りです。

 無事に就職も果たし、そこでのご縁でご結婚の運びとなったのですから、私の人生も……無駄ではなかったと思わずにはいられません。

 睦美……本当におめでとう。

 

 ――この方法が最善であったかどうかなど私にはわかりません。

 ひょっとしたらもっと別の道があったのかもしれません。 

 ですが――短い間とはいえあのような仕事をしていたことで、確かに救われていた。

 私のことは嗤っていただいて構いませんが、どうか妹に対しては色眼鏡で見ていただいてほしくはありません。

 

 家族――それは、本当にかけがえのないものです。

 やむを得ないときもありますが、本来は、離ればなれにならない方がいいに決まっています。

 私と妹は若いうちに親との縁が切れてしまいましたが……本来はそのような境遇に陥らないのがいちばんなのは、言うまでもないでしょう。

 そんな私が妻に、母になれるのだろうか。そんな不安もありましたが……ありがたいことにそんな私でも受け入れてくれる「家族」がいます。

 どんなことがあってもこの人とならば乗り越えられると思える。

 睦美にも、どうかそのような幸せな家庭を築いていっていただきたい。

 どうかこのたびのご縁が妹にとりまして生涯の幸福となりますよう、私は願ってやみません。

 

 新郎のご家族、ご親戚の方々にも、今後ともうちの妹をよろしくお願い申し上げます。

 

 ご静聴ありがとうございました。

解放の儀式

 それまでは笑い声もあり和気あいあいとしていた披露宴の雰囲気は姉のスピーチが始まった瞬間ガラッと空気が変わった。

 これはわたしが姉の親族であったから感じていたことではないはずだ。

 おそらくはその場の人全員が、厳かな祈祷に立ち会っているかのような特異な緊張感を共有していたに違いない。

 それほどまでに、姉の話は聴衆を引き込んでいた。

 そして姉のスピーチが終わったと同時に、堰を切ったように力強い拍手が会場全体を包む。

 わたしを育てるために人生の選択を大きく変えた姉が報われ、祝福された瞬間だった。

 これはわたしの結婚式ではあったけれど、姉にとっては「わたしからの解放」の儀式であったのかもしれない。

 不思議な気分であったけれど――

 自分の結婚への喜びそのものよりも、「ようやく姉をわたしという枷から外すことができた」という達成感が先に来て、こみ上げてくるものを抑えることができなかった。

 

 しのぶ姉、ありがとう。

 今まで育ててくれて。

 

 あの時は恩知らずな妹でごめんなさい。 

 あの時姉のことを軽蔑していたけれどあとになってちゃんと気付いたよ。

 あれらは全て、男性との付き合いがなかった姉がどうにかして「夜の仕事」のしぐさを勉強するためだったこと――大人になってはじめてわかった。

 そんな無理をしてまで、生活の時間から何から何まで、わたしに合わせてくれて本当にありがとう。

  

 あの仕事を辞めた瞬間、姉も、そしてわたしも、一切レディコミを読まなくなった。

 あの時のわたしたち家族にとって文字通り人生の支えとなっていたレディコミたちのことを、もう振り返ることもない。

 当時は刺激的だったはずのお話の数々。今は内容も思い出せないが、おそらくそれでいいのだ。それは忘れ去られるべき通過儀礼としての――「過渡期」の物語なのだろうから。

 

 でも、あの時の姉のことはずっと忘れずに心の奥のいちばん大切なところに刻み込んでおくよ。どんな形であっても、あれは確かにわたしの尊敬する姉の生き様であったのだから。

 

 わたしもわたしの人生を歩んでいきます。傍らにいる、この人と――

 だからどうか姉も末永く、先生――旦那さんとお幸せに。

あとがき

 2016年7月22日に小説投稿サイト『カクヨム』さんにアップした短編小説です。短編小説をこちらへいくつか移転していくにあたってまず最初はわたしの短編としてもっとも反響のあったこちらを、ということで。

 当時は自身の短編としては最高の☆36のご評価をいただきました。
 大変にありがたいことにユーザーさん主導の企画でカクヨム上でその年もっとも優れた作品を選ぶ、というようなところで推してくださった方もいらっしゃったのですよね。大変にありがたかったです。

 タイトルと内容のギャップ、というところをもっとも意識して書いたのでそこはひとまず成功したのかな、と思います。

 これから数日にわたっていくつか過去作をアップしていこうと思いますのでよろしくお願いします。

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