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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第5章

1 キュエソア(救済)

 もとより生物とは攻撃的であるし、人間であったって理由を見つけさえすればたやすく暴力を振りかざす。いつだって、「攻撃してもいい対象」を求めている。

 往々にして暴力は『正義』の名のもとに下される。
 我だって……そうして成り上がってきた。

 であるとすれば……今の我を取り巻くこの事態は報いである――とでも神はしたり顔で言うのであろうか。


 テラー王国は全世界の衆目に晒されることとなった。
 

「異世界人への人権蹂躙だ!」
「成田太郎は日本の恥!」 
「テラー王国は即破壊されるべきだ!」
「テラー王の処刑を!」
 

 みずからの世界の人権さえロクに顧みない連中がよくほざくものだ、という感想しか抱かないが……とにもかくにもそうした声が『世論』となり、『異世界人』の保護に世界が動くこととなった。
 大陸『オ・アエセ』に位置するテラー王国は、もはや『異世界』でもなんでもなくなった。


 数千――いや、数万か。
 たった一つの狭い通行口から、よくもまあこれだけの数を。

 かつての『侵略』は世界の目から隠れて行われたものであるが……
 今度は圧倒的支持を背景にして、大々的に。『人道』の大義名分を引っさげてズカズカと踏み込んでくる、現代兵器の車両群。
 テラー王国は瞬く間に多国籍軍に占領されたのである。


 戦争にすらならない――と相模(さがみ)欣也(きんや)がのたまっていたが、まったくその通りに推移した。 


 会社としてのメニアイル、及び我が事業に協力してきた企業も世界からの突き上げを受けて解体。西風館(ならいだて)小鳥をはじめとしたテラー王国に駐屯していた社員たちも漏れなく連行された。

 テラレの民は現代的価値観の暴力によって一方的に『解放』され、我々はかの古めかしい『征服者たち』になぞらえられる。我を信ずる当の異世界人の思いや、我々の価値観、それらは一顧だにされなかった。

 テラー王から引き離された住民は何を思うのか――今はもうそれを知る術もない。我が能力の源泉であった、メニアイルレンズ製品利用者の見ている映像の収集も不可能になった。

 ……わびしいものだ。我が居城に残されたものはもはや……ひとつばかりの刀くらいである。

「ああっ……テラー様っ……は、激し……」


 ……何もわかっていない偽善者どもめ。

 綺麗事では世界は成り立たない。高齢者の割合が極端に多くいびつな日本の人口ピラミッドを矯正するためには『従順』でなおかつ『一代限り』の『つなぎ』としての種族が必要であるというのに。

 貴様ら地上人の権利が何人にも侵されることなく余さず守られるためには、人身御供としての『それ未満』が不可欠なのであるというのに……!

 つくづく自らで何も考えない種族であることか。
 我が計画を潰してどうするというのか。
 対案は?
 若年層にのみ負担を強いる未来を見て見ぬフリか?
 誰の目にも明らかな『滅び』を座して待つのか?

「……セマラ。我が懐刀よ」
「……はい」
「我と共に――来てくれるな?」
「……はい。白と黒と、朱だけだったわたしの世界を変えてくれたのは。いちばんキレイな朱を教えてくれたのも――あなたなんですよ」
「……セマラ……」
 

 ……いいだろう。
 我は再び――『異世界』を救う『勇者』となる。


 
「ひぃっ!! ……ば、化物!」

 直で対面したのは何十年ぶりであろうか。
 再会の一言めはそのような、なんの面白みもない代物であった。

「相模……貴様に誤算があったとすれば……『神話』となった、セマラと転生した我の力を実際に目にしていなかったことであろうな」

 人工的に強化された人間としての我と、『サロ』の少女であるセマラともうひとり――これだけの戦力で広大な王国を平定したのである。
 『あの程度』の軍勢でどうにかできると思われたのは、ナメられたものであるよ。

「わ、わしらは古い付き合いじゃないか……た、助けて……」
「……であるな。我はお前と数十年、多くのことを分かち合ってきた」

「そ、それなら……ぎゃああああああ!!」

「……そう、我とお前は、仲間だったよ。ほんの、少し前までな」
 
 愚かな老人め。
 大人しく我にずっとつき従っていさえすればよかったものを。
 ああ、これで我は、少年時代から共に過ごした唯一の幼馴染を失った。


 ――かくして、我は再び舞い戻ってきた。

 この国は我が救済を受け入れなかった。それならば、それでもいい。
 ならば我は今ここに再び新たな救済をもたらそうではないか。

 さあ、『異世界』の攻略だ。

2 オットエ(圧倒)

 まさか我がテラー王となってからこちらの世界に足を踏み入れるとは思ってもみなかった。一国を相手にドンパチするのか、というほどに物々しい集団が四方に勢力を張っている。

 ある意味で最恵待遇といったところか。
 『たかが』二人相対するのにこの武装――後世この映像を見た世代は、果たしてどちらに正義があると判断するであろうな?

 ……もっとも、映像として残っているか怪しいものであるがな。


 などと考えているうちに――敵が動いたか!
 前方に出ていたサロの少女・セマラとちょうど向き合うような形で一両、戦車が立ち止まる。あと少し踏み込まれれば轢かれてしまうという極限状態でありながら、少女はビクとも動かない。


 しばしの沈黙が続いた。

 この状況で人の良心を残しているのか、単にしびれを切らせただけか。やがて戦車のハッチが開き、年若い兵士が顔をのぞかせる。


「……きみ! 今すぐ投降するんだ!」


 すかさず静止する声が車両の中から聞こえてくる。

「お、おいバカ! やめろ! そいつは――」
「こんなのおかしいですよ! こんなの……人がやることじゃない!」
「いいから戻れ! 見た目に騙されるな! そいつは――人間じゃない!」

 なるほど……人間じゃない、か。
 そうかもしれぬな。我々は、とうに、人間をやめているのかもな。

 何かをつぶやいたような口の動きを見せるセマラ。
 言葉は聞こえなかったが、大方どのような内容かは、我にはわかる。


 おそらく通常の人間程度の動体視力では追いきれまい。
 可哀想にセマラの身を案じたのであろう青年は、おそらく自分が素手で首をもぎ取られ死んだことすら認識できなかったことであろう。
 赫々とした死期の彩りが周囲に飛沫く。


「うわあああ! ば、バケモノめぇーーーーーッ!」


 青年を制止していたのであろう同乗員は混乱した様子で車両を縦横無尽に動かすも、そんなことで振り切れるセマラではなかった。


「エオ族……エオ・ソケ・ホ・マノ・コロセ(エオ族ハミナ、コロス)!」


 彼女にとって、『眼にAR(メニアイル)』レンズ越しに映る目の前の『敵』は、地上世界の名もなき兵隊たちではなく滅ぼすべき『未開の』エオ族。容赦はなかった。

 セマラの手には、身長以上はあろう剣――というより巨大な鉄の塊そのもの、と形容したほうがよいかもしれないが――瞬時に生成されたそれで、目の前の戦車を真っ二つに引き裂く。
 それがそのまま、我々の開戦の狼煙となった。


 そこからはもはや、こちらの独擅場であった。
 ――ドラゴン殺しならぬ『戦車殺し』とでも云おうか。
 少女の身体よりもはるかに鈍重であるはずの物体が物理法則を捻じ曲げるかのように戦場で切り裂かれ、血飛沫と共に舞っていくそのさまは、さながら出来の良い3Dゲームを見ているようであった。

 戦争にはならないなどと自信ありげに吹いていた相模欣也よ、確かにその通りであるな。実際のところ、勝負にならない。

 
 そう、我々の勝ちだ。


「……ハエが。我の周りをうろつく許可を与えた覚えはないが――?」


 今我が打ち落としたそれは、確か『ドローン』と呼ばれているものであったか。どれほどの現代兵器を弄してこようと、我々の勝ちは、もとより揺るがない。あまり『異世界』の『勇者』を侮らないでいただきたいな。


 貴様ら雑魚など端から眼中にない。
 最初に排除せねばならぬ驚異として、我々が倒さねばならないのは、ツネ――松岡常一の側に控えているであろう、もうひとりの『サロ』・ソエラである。

 貴様らにはせいぜいあの少女をおびき寄せる撒き餌となってもらう。

3 スミレ

 敵の勢いに明瞭な陰りがうかがえた。

「ひぃぃっ……」

 我々に対峙している者どもは尻込みをしているようであった。
 ふん……惰弱な。最新技術の粋を極め、厳しい鍛錬も積んでいるであろう兵隊といえど、この程度か。


「――もうよいぞ、セマラ」
「……はい、テラー王」

 我の呼びかけと共に、ピタリと行動を止めるセマラ。
 ……よしよし、いい子だ。


「貴様らも無益な争いをしたくまい。指揮官を出したまえ。話をしようじゃないか」


 兵隊どもはおとなしく従った。
 無数の兵士と車両の奥から、一人の男がお出ましになった。
 その風貌は指揮官、というよりは人を顎で使うことでのし上がってきたような、あの部長を思わせるものであった。

「……私がここの指揮を任されている北山重彦。お初にお目にかかります、テラー王殿下」
「北山……? ははあ、なるほどな」

 苗字がメニアイル本社でクーデターを起こした女と同じ……相模はこいつとつながっておったか。あの、我に逆らう度胸さえもなかった小心者がどうしてあれほど強気であったか、腑に落ちたというもの。

 いや……死んだ者のことなど、今は構うまい。

「ツネ――いや、松岡常一という男と、その傍らにいるであろうソエラという少女を捜している。我々の目的はその二人さえ差し出してもらえば、こんな戦いはするまでもない」

 ……むろん、あの二人を斬り殺したあとは貴様らの番であるがな。

「……そうですね。こんな戦い――」

 ……ん?

「………がはッ!?」


「――キサマが死ねば、必要はないのだよ」 

 北山と名乗った指揮官が我に銃を放った。
 愚かな……

「――女も撃ち殺せ!!」
「うわああああああ―ーーーーッ! くたばれ、バケモノぉぉーーッ!」

 セマラも一瞬にして乱射を浴びる。


 残酷なまでに美しき朱い飛沫。
 今度は彼女自身から沸き立つものであった。
 
 こいつは人間じゃない、バケモノなのだ――と、一心不乱にマシンガンを撃ち続けるこの兵隊どもは、みずからにそう言い聞かせているかのようであった。


 ……愚か。つくづく愚かな。
 これで、対話の可能性は永遠に潰えた。


「ひぃぃっ……な、なんでこいつ、倒れないんだよ……!?」
「ゾンビかよ、こいつ!?」

 スミレの遺伝子が持っていた生命力を極限まで高めたうえで、再生能力も持つセマラと我は、この程度では倒れんさ。

「うわああああああ!! こいつ、こんな血まみれなのに!?」
「ぎゃあああああ!!」
「ひぃぃぃぃ!! 来るな! ひぃ、ひゃあああああああ!!!」

 ――さあ、『エオ族』狩りの、再開である。

「……スンスー(先生)……スンスー・ワ・ウート・ナヲ・アモウ・コ(先生をやったのはお前か)……!? アアアアーーーーーッ!!!!」


 これはテラレ語じゃない……まさか!?
 スミレの記憶を断片的に持っているのか!?
 そしてそれが、この銃撃によって呼び覚まされた、というのか……!? 

「うろたえるな! もっとよく狙わんか……ハッ!? く、来るな……く……」

 激しい飛沫と共に吹き飛ぶ、北山だった者の亡骸。
 次なる獲物を探すかのようにしばし辺りを見回したのち、我のことに気づき、視線を向ける。

「カウツ・ジョ・ノウ(こいつじゃない)……アモウ・ド(お前だ)!!」


 ――バカな!? なぜ我のことをそのような目で見る!?


「ムツクト・ゾ(見つけたぞ)、ノルト・テラー(成田太郎)…… ユルソ・ノウ(許さない)……!!」


 はっ……
 『スミレ』にとってこの姿はテラー王ではなく『スンスー』――松岡先生を亡き者にした殺戮者・成田太郎である――というのであるか――!?


 そうだとすれば……状況が変わった。
 まずいぞ……スミレ=セマラを相手にするとなれば、我とて……

 ――?! 疾い……いかん、見えぬ……これでは――!


「――セマラさん! やめて!」


 巨大な鉄塊は、我へと振り向けられることがなかった。
 ……何者かが受け止めた!? そしてあの声――そのような人並みならぬ芸当ができるのは……
 
 
 間違いない――ソエラ……!


「あなた達の目的はわたしでしょう!? お望み通り相手してあげますよ」

 その髪の色――
 開花の力を使いこなしている!

 しかもどうやら我とスミレの対立にまでは気づいてないとみえる。


 ……なんたる僥倖!
 やはり我はこんなところで朽ち果てるような器ではない!

 忌まわしき『サロ』の女同士、仲良く殺し合うがいい……!


4 カタリベ

「このたくさんいる人達の中で、どうして、自分が選ばれたんだろう?」

 この世界をまなざす60億の中から、どうして自分が『世界の中心』に選ばれたのだろう――?
 小さな頃の我は、そんなことばかりを考えていた。

 神に選ばれたのであろうがなんであろうが、どうでもよいが――
 この世界に生を受け、観測している中心は常に我である。セマラもソエラも相模欣也も、そして――ツネ、松岡常一も。世界の事象はすべて我を中心に廻っている。

 世界の語り部は我である。生を受けた時から今までも、これからも――


「エオ・ザク・ヘ・スンムツ・スル(エオ族は殲滅する)――!」
「落ち着いてくださいセマラさん――エオ族なんてい、な……くっ、聞こえてない……!? やむをえません、開花――グラジオラス!」

 ――おお!
 花のイメージから剣を現実に生成するまでになったか、ソエラ!
 コンタクトレンズの研究から拡張現実の生成へと至る我が最終目的がこうして達成されたのを見ると、興奮が抑えられなくなりそうである。
 
 
 っと、感動に浸っている場合ではない。まずは安全な場所へ――

 ……え?


 痛い――? 腹部が、灼けるほどに、痛いぞ……?


 それに再生も効かぬ……くそっ……まずい、意識も急激にかすんで……
 ど、どうなっている!?
 
 見上げた先に視界に映った顔は、セマラでもソエラでも、ツネですらなかった。それだけに、まったく理解が追いつかなかった。


「……すごいですよね、あの子――ソエラちゃん。こんな……私にでも振るえる剣を自在に作れるんですから」


 ……キサマ!? なぜ……
 キサマごときが――……この世界のすべてを見渡す我を――?!

 そんなこと……許されてなるものか……!


「ソエラちゃんのことは怨んでいませんよ。あの子は、何も知らなかった。だから妹──詩音(シオン)のことは――悲しいけれど仕方がなかった」

 我の腹部を刺したと思しき剣の先から、ポタリ、ポタリと……
 こぼれ落ちる我の最も美しい色は、涙のようでもあった。

「むしろ感謝さえしているくらいです。だって、こうして私の仇に、復讐できたんですから」


 こ、こんなところで……こんなところでくたばる我ではないのだ……
 セマラ、助け……
 ああ、まぶたが重い……もう目を開けていられない。

 世界が冥くなる。

 死ぬのか――?
 我は、こんなところで……!? 何も成していないまま……!?

 許されない……
 そんなことは……
 ゆる…され…………

5 イロドリ

「ウウウウウ……フウウウウウウーーーーッ!!!」

 テラレの言葉では不浄な音として禁止されていた「ウ」音の叫びと共に振り回される、か細い女性の身体には不釣り合いな鉄塊。

 やはりこれはセマラさんじゃない――
 これが、怒りの感情に囚われたわたしたちのプロトタイプの、スミレさん……

 すんでのところでかわしてはいるけれど……
 再生の力を加味したとしても、かすめただけでも致命傷だろう。

 とはいえこうして曲がりなりにも彼女の動きに対応できているのは、わたしがヒトならざるもの――ツネとは違うものだから、なのだろう。

 
 ほんとうは最初からわかっていた。わたしは、テラー王がこの世界を支配するために造られた兵器なのだと。
 人並みの幸福など、求めてはいけなかったんだと。


 わたしたちは、この世界にはいちゃいけない。
 だから――


「共に散らしましょう、死期彩を。わたしたちは最初からこの世界に生まれてはいけなかったんです」

 そうでしょう? ね? セマラさん――

「ムウウウウウウーーーーーーンッ!!!」

 っと。……なんて言っても、伝わらない――か。


「ふたりとも! もうやめるんだ!」


 ――ツネ!? そんな近くで声を張り上げるなんて……


「テラー王は死んだ! こんな戦いは無意味だ! 今すぐやめるんだ!」

 ――ホコ(バカ)! 死にたいんですか!?
 ……あなたは巻き添えになっていい人ではないのに!


「……テラーさまが………死んだ………!?」


 セマラ……さん?! 意識を取り戻した!?


 ……かと思えば、途端にうずくまり奇声と共にのたうち回る。


「……ウウ………ウガアアアアア……スミレだかなんだか知りませんが、あなたの生きた時代は終わった! さっさと引導を……ウウ……アガッ……!!」


 ……これは、スミレさんの意識とセマラさんの意識が戦っているの……!?
 ――なんにしても!

「逃げてください! 危険です!」

 今のうちにツネを安全なところに――
 

 ――?!

「くっ……!」

「ソエラっ!!」

 痛ぅっ……派手に吹き飛ばしてくれますね。
 まさに『鬼』のよう……まさかその巨大な鉄の塊を投げてくるなんて。
 とっさに盾代わりに剣を出して軌道をわずかに変えるだけで精一杯だった……まともに直撃していたら、真っ二つになっていた。

 さいわい背中を打ち付けた程度。このくらい、すぐに立ち上がって――


 !?
 ……膝が、うまく持ち上がらない……!


 どうしたっていうのソエラ、不死身同然の改造人間もその程度なの!?
 立ってよ……立つんだよ、わたしの足……!

「……なるほど」

 ……また新しいものを出すのも造作ない、と。イヤになっちゃいますね。
 そんな大きな鉄の塊すらも出し放題なんて。わたしなんて細身の剣をひとつ出すだけで、ふっ……、と意識を持っていかれそうになるほどなのに。

 なんとかそれっぽく立ち回ろうとも、もとより力の差は歴然。
 それでも……わたしは、あなたを倒さないといけない……!

 だから立ってよ、この瞬間だけでいいんだから……!
 このままじゃ……!


 ……内心焦っていたその時。
 セマラさんは予想もつかない行動に出たのだった。


「……過去の、亡霊がアアアアアアーーーーーッ!!!!!」


 セマラさんは自らの腰に身体に剣をあてがい……
 そのまま、それをグッと押し込む。


「?!……?!?!」


 剣は身体の半分ほどを突き抜け、朱く色づいた飛沫が放射状に広がる。
 自分で自分の……この人は一体、何をしているの!?
 身体にめり込んだ剣の重さに引きずられるように、べチャリと倒れた。
 あたり一面が朱に染まる。
 ピクリとも動かない。


「……終わった、の……?」


 わたし以外に響く声はなかった。気づけば兵隊さんたちも退散していた。それもそうだろう。この死期に彩られた場に居合わせようなんて人は、わたしたち以外誰もいやしないだろう。

 それでいい。
 冥界に引きずられるのは、わたしたち『サロ』だけでいい。

 ……久しぶりに訪れた静寂。
 終わったという安堵よりも、ひどく薄気味悪く感じられてならなかった。

「……った」

 ――生きている!?
 やっぱり……!
 
 今のあなたは……『どっち』なの!?


「……スミレは今の一撃でみずからの『死』を認識した。勝った……! 見ていますかテラー王、私はまた『シャエラ(勝利)』で彩りましたよ……!」


 ……スミレさんに『死』を認識させる、そのために介錯まがいのことをしたというの……!? ……あまりにも……どうかしてる……!

 引き抜いた剣を引きずり、よろめきながらこちらへと近づいてくる。
 すでに多くの血を吸ったその鈍色の鉄塊からは朱くドロリとしたものがポタリ、ポタリと。進んだ道に跡がついていく。
 わたしたちがこの世界を生きていた、という証を刻んでいるようにも感じられた。


「次はあなたよ……ソエラ」


 ……動け、わたしの足……もう充分休んだでしょう!?


「……あなたがこの『異世界』へと足を踏み入れなければ私たちはわかり合えたかもしれなかったのに……ただただ、残念だわ」

 引きずっていた剣を起こして、振り回す――


 ……が、それがわたしを切り裂くことはなかった。
 間合いを見誤った!? それともこちらを認識していな……違う、これは――


「……あっ……」


 目の前の人の口からは、あの朱い液体が、コポッと噴き出る。


「……までで……いちばん……き…れ……」 


 わたしでないもうひとりの『サロ』――セマラさんは、そう言い遺して事切れた。それまで死闘を繰り広げていたとは思えない、穏やかな顔だった。


 ……まるであの時の――シオンと戦ったときの再現だった。

 彼女の身体を刺し貫いたのは。
 背後からの一撃。


「……たった一瞬。それだけでよかったんだ」

 彼が手にしていた武器は、忽然と姿を消していた。
 それにすら気がついていないという様子で、饒舌に話し始める彼。

「セマラ――彼女につけられているコンタクトレンズに、偽の映像を送る。それによって、間合いを誤認させたんだ。さいわい彼女の意識も朦朧としていただろうから、細かいアラには気づかずにいてくれた」

 気丈に振る舞っているつもりかもしれないが、彼の手は震えていた。
 当たり前だ。
 わたしは、この人にこんなことをさせないために、戦っていたのに――

「……ほらアレだよ、ものは試しって言うからさ? スミレさんの血が流れてるなら僕にも――……って。そしたら本当にできちゃうんだもんな。ぶっつけ本番でさ。僕って勇者かなんかの才能があるのかな? ははっ……は、ははっ……感触がまだ残ってる。一生、忘れられそうにないや、ははっ……」

 気づけばわたしは、今にも押し潰されていそうになっている彼の身体を抱き寄せていたのだった。


 終わったと感じると同時に、始まったんだなとも思えた。

 つい先程まで死期の色で彩られていたこの凄惨な光景が、今後おそらく彼――松岡常一の心の中に深く刻み込まれてしまっただろうことを思えば、この悪夢をなるべく思い出させないようにしなければならない。

 新しい日常を取り戻すためのわたしの戦いが、始まったんだ。

 ……おかしいな。さっきまではわたしなんてセマラさんと共に消え去るべきだと本気で思っていたのに。今じゃ何が何でも、この人と生きたいと願っている。

 変わり身の早い身勝手さに自分自身呆れてしまうけれど……
 わたしはこの身勝手を一生貫き通していきたい――心の底から、そう思うんだ。


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