高校を退学してプロサッカー選手を目指す無謀な挑戦を通して得たもの
無謀な挑戦。
これが出来る人ってどのくらいいるのだろう?
これを後押ししてくれる人がどのくらいいるのだろう?
今の日本の雰囲気を見てみると本当にこれが出来る人達って言うのはもの凄く少ないような気がする。
「いやいや、無理でしょ。」
「それやって失敗したらどうすんの?」
「現実見なさい。」
僕が高校を退学し、プロサッカー選手を目指す決断をした時に、周りの大人や友人に言われた言葉だ。
みんな僕の決断を無謀だと思ったのだろう。
まぁそれもそのはず。
僕は別に選手として人より秀でてるわけでもなく、そこらへんにいる普通の高校生レベル。
いや、なんならそれよりちょっと下かもしれない。
僕はその時は別に無謀だなんて思ってなかったけどやっぱり、側から見ると無謀に見える。
結果は案の定、挫折。
僕の目の前に残ったのは、高校中退という肩書きと大きすぎる虚無感。
めちゃくちゃ不安だった。
ただ、いまになって僕が伝えたいのは、例え無謀であっても本気でやる意思があるなら挑戦するべきだという事だ。
極端な話、成功する確率がゼロであっても本気でやる意思さえあれば僕は挑戦するべきだと思う。
これは僕が”プロサッカー選手を目指す”という無謀な挑戦を通して身を以て実感したことだ。
僕はプロにはなれなかったし、挫折した当初は不安しかなかったけど、よくよく振り返ってみると、
小6でプロサッカー選手になると本気で決意してからの5年間。
サッカー通して本当に色んな人に出会って、色んな場所でプレーして、色んな挫折を味わって、色んな成功を重ねて、とにかく素晴らしい経験をして来た。
これらの経験は本気でサッカーに向き合ったから得られたもので、確実に人としての1つの価値になったと思う。
それに、”プロサッカー選手になる”という無謀な挑戦に本気で挑んだ事で、そのレベルの事を成し遂げるために必要な努力の仕方、メンタリティなど、いわゆる極意の様なものを物凄く深く理解出来た。
この極意はサッカーに限らず、上を目指す人間全てに当てはまるし、今後確実に僕の武器になる。
まだまだ文に書ききれないほど、この挑戦を通して人生レベルで大きな成長を得ることができた。
これは、成功や失敗に関係なく本当に大きな財産だ。
もしあの時、周りに流されて惰性で高校に通い続けていたら。
もしあの時、人に笑われて夢を諦めていたら。
何一つ得るものは無く、ただ後悔だけが残っていたと思う。
無謀な挑戦を通して、成功出来なかった僕でもこんなにもたくさんのものを得られる。
それだけで本当に挑戦する価値があると思う。
人間はその人自身の人間力でどこからでも這い上がって来られる。
その人間力を磨くための最も大事な事は、やっぱり何かに本気で挑戦する事だと思う。
もっと日本が全体的に無謀な挑戦でも応援してくれる様な雰囲気になって欲しいと思うし、それが実現すれば間違いなく日本のレベルは全てにおいて向上すると思う。
僕はサッカーを引退してまだまだ何も先の事は決められてないけど、無謀な挑戦にも挑むこの姿勢は胸に刻んでおきたい。
最後までご拝読頂きありがとうございました。
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