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自己紹介

小学校から高校まで、クラスが変わるごとに自己紹介というものをしてきたけど、僕はこの自己紹介っていうやつがとても苦手だった。

とにかく自己紹介は難しいんだ。
まず、自分の前に自己紹介をした人が座ったあと、どのくらいの時間間隔を空けてから立ち上がればいいのか分からないし、立ち上がる時椅子の足が教室の床をこする音が、静まり返った教室に大きく響くのも耳障りだった。
『く』から名前が始まる僕の出席番号は、40人のクラスの中だといつも15番前後なんだけど、それまでに一言も言葉を発してないから、最初の「く」を自然に発声できるかと不安に思ったりするのも嫌だった。

「くらです。よろしくお願いします」

自己紹介として求められる最小限の、ごくごく短いこの二言を、数十人の前で言うだけ。
たったそれだけのことなのに、小中高の12年間に、「今回の自己紹介は良かった」と自分が満足できるほどの自己紹介は、一度もできなかったと思う。

よく、自己紹介みたいな『大勢の前で何かをすること』が上手にできない人は、
『人の目に晒されることを恐れている』
と思われがちで、その対応策として、
「誰も見てないから気にするな」
的な言葉をかけられることがある。
自分の自己紹介への不安を払拭するため、僕もそういうふうに捉えようとしたことがあったけど、それで分かったことは、
「自分が嫌なのは『注目されていると感じること』ではない」
ってことで、むしろ逆なのだということだった。

椅子をひいて立ち上がり、一人目線が高くなった瞬間に感じる、クラスメイトという名前の、その日初めて顔を合わせた他人たちから向けられる視線。
みんなが自分のことを見ていると感じると同時に、誰も自分のことなんて見ていないってことを確信して、

「ああ、自分はこの場にいる誰からも興味を持たれない、取るに足らない存在なんだな」

っていう事実をまざまざと突き付けられる感じがして、静かにショックを受ける。

結局のところ、僕は自意識がクソほど高いんだと知った。
そして、『誰も自分に興味を持っていない』と感じることができる背景には、『自分が誰にも興味を持っていない』っていうのがあるんだなってことにも気付いた。
もちろん仲良くなってからはその相手に興味を持つけど、たいていの場合、その最初のとっかかりも自分ではなかった。
僕のコミュニケーションには、
『自分に興味を持ってもらうこと』
っていう受け身のコミュニケーションが前提にあったんだ。

「そうか、自分は意外と傲慢なんだ」

そのことに気づいたのは17歳の時だった。
当時ブログを始めたことで、ブログのネタ探しのために以前より他人に興味を持つようになったのがきっかけになったんだと思う。
なんとなく、以前よりも『自分』のことが分かった気がした。

その後大学に入学して上京した僕は、意識して人に対して積極的に興味を持つようにした。
それまで自分にしか興味が無かった反動もあるのか、楽しくて仕方がなかった。
そのめちゃくちゃに楽しいと感じる状態が、10年以上経った今でも続いている。

ふと、
『もし29歳の今自己紹介をするなら?』
と考えてみた。
「くらです。人に興味があります。よろしくお願いします」
みたいなことを言うのかもしれない。
そう思った直後、「なんだこのクソ痛い人間は。そういうのは中学生で卒業してろ」って思って恥ずかしくなったから、やっぱり今までと変わらないと思う。

くらです。よろしくお願いします。


#自己紹介 #エッセイ #昔話

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