雀荘を辞めたわけ

第1章 麻雀荘は、お1人様でも安心なのか?

1月のnoteは自己紹介も兼ねて、ブロマガで連載した「僕が雀荘を辞めたわけ」を掲載します。客として10年強、その後従業員として15年弱、僕が人生で一番長く過ごした場所は間違いなく「フリー雀荘」でした。


・フリー雀荘に行き始めたきっかけ

・フリー雀荘が楽しくて仕方なかった思い出

・サラリーマンを辞めてフリー雀荘で働き始めた時のこと

・麻雀プロになろうと思った動機

・うっかり15年も雀荘勤務を続けてしまった話

・勤務中に賭博罪で逮捕されてしまったこと

・逮捕された原因と考察

・それでも全く雀荘勤務を辞める気がなかった話

・辞めるきっかけとなった出来事

・賭け麻雀から足を洗おうと決意した話

・そして現在に至る


こんな流れで話してみたいと思います。興味のある方は是非お付き合いください。


第1章・麻雀荘は、お1人様でも安心なのか?


僕が生まれ育った地元にはフリー雀荘が無かった。麻雀の対戦相手はもっぱら友人、知らない人と打つ機会はそれまで皆無だったのだ。

お1人様でも安心

その看板を見てゴクリと唾を飲み込んだ。そう、あれは予備校の冬期講習で札幌に来ていた時のことだ。フリー雀荘の存在は知っていたし興味も有りまくりだった。「大三元」と名の付く店は、かなり薄暗い雑居ビルの地下にあった。少し怖い気もするが、断然好奇心のほうが勝っていた。

思い切ってドアを開けると、真っ先に目に入ったのはエイトラインというゲーム機をバシバシ叩く人だった。次に目に入ったのは3人掛けのソファーを独占し、かなりだらしのない格好で熟睡している人。

(まだ15:00なんだけどな・・・)

奥の方に目をやると、ようやくお目当ての景色が拝めた。店内は4卓、その内1卓だけが稼働しており、それ以外の人はゲーム機とソファーに1人ずつ。そして新聞を読んでいた人が1人。新聞をたたみ、1人がつかつかと歩み寄ってきた。何と声をかけられたのか全く覚えていない。そう、かなり緊張していたのだ。

とにかく少し待っていなさいとのこと。ソファーは占領されていたので、空いている卓に座って新聞を読むことにした。何も聞かれていないのに勝手にお茶が出てきた。後で知ったのだが、応対してくれた人はこの雀荘のオーナーだったらしい。

従業員は? と思うじゃないですか。「いらっしゃいませ!」のような類の言葉は一切かけられていない。そのことを不思議にも思わなかった。なにせ初めてなのだ。起こったことは全てフリー雀荘の知識として新たに上書きされるだけだった。

やがて卓に案内された。飲み干したお茶のおかわりが勝手に出てくる。あ、親切なんだな。と、この時は思っていた。ちなみに全自動卓も初めてだった。点箱を開けると16000点しか入っていない。なるほど、フリー雀荘は16000点スタートなのかぁ! と、新たな知識を上書きした。

キャプチャ677

開局そうそう僕の打った二萬に対面が「ロン」という。さすがにこれには「はいそうですか」というわけにはいかなかった。しばらく点棒を払えないでいると、対面がため息交じりに――

対面「イーペーコーだよ。マスターさ、ちゃんと教えてやりなよ!」

マスター「こういうのはさ、やりながら覚えるもんだからさ(笑)」

16000点持ちで20000点返しのこと。東南戦ではなく東北戦であること、他の特殊役のことなどを打ちながら教えてくれた。でもそんなことは全く不快に思わなかった。ついでにいえば「大三元」の客は先ヅモが当たり前だったし、少し遅いと卓をトントンと叩かれ急かされもした。

打牌音はバチバチうるさかったし、舌打ちや三味線まがいの言動も当たり前。振り込むと盆面も最悪で、マナー面に関しては何一つ良いところがなかったのだが――

結局その日は4~5時間打っただろうか。とにかくメチャクチャ楽しかったのだ。知らない人と麻雀が打てる。ただそれだけで僕は、超絶興奮できたし心底満足したのだ。

翌日、予備校ではなく「大三元」に向かったのはいうまでもない。ようやく客扱いされたのか「お、いらっしゃい――」と、マスターも快く迎えてくれた。マスターは60代、お客さんも40代が1人いるかどうかという平均年齢がかなり高めの雀荘だった。まだ1×歳の僕は、店内で圧倒的に浮いていた存在だった。

だからかどうかはわからないが、たぶん可愛がってくれたのだろう。負け続ける僕を見かねて、ゲーム代が半分の卓を特別に立ててくれたりもした。それにわざわざ付き合ってくれるお客さんも、麻雀中の態度こそあまりよろしくなかったが、なんだかんだで優しかったのだと思う。

お1人様でも安心

その謳い文句は正しかった。以来100店舗弱のフリー雀荘に遊びに行ったが、ただの一度も怖い思いはしたことがない。点数計算だって当時は全くできなかった。友人との麻雀ではチートイドラ2、メンタンピンツモはマンガンだったし、2600、5200という点数は数えなかった。

それでも点数計算には1度も苦労した記憶がない。たぶん卓内の誰かがその都度教えてくれていたのであろう。フリー雀荘は基本的に優しい人が多いと思う。たった1つだけ怖いことがあるとすれば、夢中になりすぎてしまうことだ。予備校の冬期講習は10日間、札幌は地元から遠かったので、その間はずっとホテル暮らしだった。

「大三元」に初めて行ったのが冬期講習2日目の出来事。それ以降は予備校に行くことはなかった。春期講習、夏期講習にも張り切って申し込み、その都度札幌で連泊するのだが、通っていたのは決まって「大三元」のほうだった。当然親には内緒だ。このことは墓まで持っていきたいと思う。


つづく




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