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病床経過報告⑥最後の治療

 7月から始まった私の入院生活もどうやら大詰めを迎えようとしているようだ。当初は抗がん剤の投与3週間1サイクルを6サイクル回して治療の終了とする計画をされていたが、最初の治療時に投与した抗がん剤が全く効かなかったこと、病気の進行が速いことから、通常の治療では治しきれないだろうと、4サイクルの治療を終えたところで計画の変更がなされた。「自家移植」を要する強力な治療を行い、これによって病気に止めを刺しにいくと主治医から説明があった。いつ実行されるかが分からないものの実行の可能性は示唆されていたので、下記のように先月調べながらその概要を記してみたが、ついに近々実行される運びとなった。恐らくは12月頭〜中旬くらいに始められ、この「自家移植」が私の最後の治療となるだろう。

 それは正確には「自家増血幹細胞移植」と呼ばれるもので、標準的な治療による治癒の可能性が低い場合に抗がん剤の大量投与前に併用される手法だ。増血幹細胞とは、骨髄に存在し、酸素を各臓器に循環させる赤血球、病原菌から体を守る白血球、出血を止める血小板のもとになる細胞で、成長することで3つの血球それぞれに「分化」し、また造血幹細胞自身も細胞分裂によって「自己複製」していく。骨髄の中のこの2つの機能によって造血が行われる。抗がん剤の投与では悪性の癌細胞のみならず様々な細胞を殺してしまうので、体量投与前に造血幹細胞を取っておいて後で体内に戻す。それによって正常な血液細胞が増加され、病気からの回復を期待するのがこの手法の目的だ。ちなみに、自分の幹細胞を移植する「自家移植」のほかに、他人の細胞移植する「同種移植」があるが、前者を実行する予定になっている。

 一昨日、PET検査を受けてきた。PET検査とは「Position Emission Tomography」の略で日本語では「陽電子放射断層撮影」という意味だ。癌細胞が正常の細胞と比較して多くのブドウ糖を取り組むという性質を利用して癌細胞をマーキング、撮影する検査方法。ブドウ糖に似た物質に放射性同位元素をつけた薬剤を注射し、その後ドーナツ状の撮影機械によって画像を撮影。一緒に撮影した人体の輪切り画像・CT画像と薬剤によって癌細胞を光らせた・PET画像を合成させることで診断の精度の高上を図っている。癌の早期発見に威力を発揮すると言われるPET検査だが、今回は抗がん剤による治療がどこまで効いているのか、その効果測定の為に実施した。この結果を鑑みて、もう1サイクル前回と同じ治療を行ってから自家移植に移るか、直ぐに自家移植を実行するかが判断される。病院での生活様子や腹部の痛みが暫く無いことから、直ぐに実行される可能性が高いと思われる。

 自家移植にあたり、その前処置として大量の抗がん剤を投与される。「血球が限り無くゼロに近づく」ほどの量なので、今までの治療と比べものにならないほど副作用が強く出ることが予想される。抗がん剤の投与後、減ってしまった血球を元に戻すために、予め採取し保存していた造血幹細胞(11月18日に採取済み)を点滴で投与する。血球がもとの数字に戻るまで、個人差はあるものの大体3週間程かかるという。それまで病原菌に対する抵抗力が極端に落ちる為、クリーンルームに隔離されるらしい。実は本日クリーンルームに移動してきたが、感染予防のビニールや室内に設置されたトイレ・シャワー、面会のために設置されているガラスの窓と会話の為の受話器などを見ると、今まで4人部屋で割とオープンな環境にいた為か、とても閉鎖的で独房のような印象を受けた。ドラマや映画などで白血球の患者の病室が丁度こんな感じだった気がする。隔離の期間、この病室でじっとしていられるものか…。

 大量の抗がん剤の投与は、10年・20年レベルでの長期的な視点から見ると、その毒性から「二次発癌」、則ち今回治療している「悪性リンパ腫」とは別の種類の癌や白血病が発生するリスクが高まるとされる。大変なリスクの高さを感じるが、大量の抗がん剤の投与で病気に止めを刺さなければなければ、治療を終えた後に悪性リンパ腫が再発する可能性があるらしい。短期的なリスクを潰すために、長距的なリスクを負わなくてはならないのだった。治療も終盤に差し掛かり、このような苦しみは一生御免被りたいところだったが、人体と病気とは不条理なもので、なかなか甘くはない。また、癌になると「5年生存率」という言葉をよく耳にし、目にするようになる。5年再発がなければ「寛解」とされることから、その年数が設定されているのだろう。医者にまだ聞いてはいないが、私にも幾らかの数字が算出されている、或いはこれから算出されると思われる。ほんの少し前まで、10年先・20年先が当たり前のように自分にくると思っていた。今では、数年先の状況さえ分からず、二次発癌のリスクもあることから、10年後・20年後自分が無事であるかなど全く予想できない。しかしながら、起こってしまったものは仕方がないし、過去を変えることもできない。受け入れて生きていく他ないのだ。

 チェコの作家ミラン・クンデラは、その著作の中で人生を一曲の楽譜に例えた。人々は過去の出来事を音符になぞらえ、その音色を愛でる、と。運命と呼ばれるものは結局のところ恣意的に選んだ物事の解釈に過ぎないと看過した。そこから導き出される含意とは、過去の出来事は変えられないが解釈することはできるという事だ。解釈し、意味づけができれば、これからとる自分の行動を変えることはできる。「connecting the dots」とはスティーブ・ジョブズによる至言である。彼は大学時代にたまたま履修したカリグラフィーの授業が、後にMacの美しい文字を開発することに繋がったという経験からこの言葉を引いたが、次の「点」をどこに打つかは私にも考え、選ぶ事はできる。彼によれば「先を見通して点をつなぐことはできず、振り返ってつなぐことしかできない」。

 毎月の医療費の請求額を見るとゾッとする。毎月100万〜200万円かかる高額医療を現在受けている為だ。健康保険とはありがたいもので、年収に応じて医療費の負担金額の限度額が設定されている。健康保険による補償と家族からの援助によって、資金面では生きることに絶望せずに済んでいる。現在の私は、社会によって、家族を始めとした身の周りの人によって、現代医療によって、生かされているといってもいい。治療も終盤を迎えた今は、あまりに不確かな未来の中で、身の回りの人たちに、社会に何を返すことができるかを考えている。

 


 

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