知識は断片でしかなく、知識の集合が知恵となる
学ぶという言葉からは、知識を蓄えるというニュアンスを感じ取るかと思います。
勉強して、知識を蓄えなければ。
このような文脈が多いと思います。もっと言えば、
勉強して、(知識をつけ、)賢くならなければ。
勉強して、(知識をつけ、)スキルを身につけなければ。
このような用法ですが、ここで言う知識とは、情報の断片に他なりません。
単に情報の断片を蓄積したところで、賢くもならなければ、スキルも身につきません。重要なのは以下の二つです。
1. 情報は、編集しなければ、使用するために最適化されません。
2. 情報は、他の情報と結合しなければを行動に結びつきません。
情報の編集とは、膨大なインプットを分解し、順序を並び替え、不要な部分を捨て、必要な部分を抽出することです。そうして編集した情報こそ、「知識」となります。
情報の結合とは、情報を編集した結果得られた知識と知識を結合し、実際に結びつけて使います。
例えば、料理をイメージして頂くと分かりやすいかと思います。
・野菜の皮を剥くという知識
・包丁で野菜を切るという知識
・鍋で野菜を煮込むという知識
これらの知識を結合しなければ、「料理を作る」と言う「知恵」、そして「スキル」にはなりません。
例えば、エンジニアの学習も同じです。
・OSとは何かと言う知識
・ソフトウェアの動作する仕組みに関する知識
・プログラミング言語の知識
これら単体の知識だけでは、ソフトウェアを開発することはできません。OSの役割の上で、どういう仕組みでソフトウェアが動作し、その構造を担うプログラミング言語はどのような記述か。
それが結合し、初めて「ソフトウェアを開発する」という「知識」、そして「スキル」になります。
何かを成すならば情報が必要です。
情報を編集し、結合し、知識に昇華します。
さらに知識と知識を混ぜて結合し、「知恵」または「スキル」に進化させます。
そうして初めて行動や自身の価値を生み出すことができます。
「今日得た情報は、知識になっているだろうか。」
「これまで得た知識は、「知恵」になっているだろうか」
そんな問いが自身に生まれたなら、より自己研鑽の効率は上がるものと思います。
知恵となっているかどうか。それを確認する簡単な方法は「アウトプットすること」です。
noteに書いてもいい。
誰かに説明してもいい。
紙に書いてみてもいい。
アルベルト・アインシュタインはこう言ったそうです。
「6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。」
日々得た情報を、編集し結合した結果得た「知識」を、子供にわかるよう説明できたなら、それは自身に定着した「知恵」だと言えるのではないでしょうか。
SNSの時代です。記事に書いたり、音声メディアで話したりということも簡単にできます。
アウトプットを続けるトレーニングをぜひ一緒に頑張りましょう。
創作意欲の支えになります!