見出し画像

資本主義社会が浸透しているなぁと思ったあれこれ

世界全体で見た時に、実は資本主義は人口の4割程で独裁政権国家のほうが人口比率は多いらしいよ、なんて話を仕事のお客さんとお昼を食べながら雑談していた。

とはいえ、日本は資本主義。
お隣中国やロシア、北朝鮮などの国々を過激だなぁなんて呑気に思いながらそんな話をしていたが、今日ニュース番組を見ていると、過去最高に飛来するミサイルやウクライナ戦線の惨状に胸が痛む。

クリミア半島に架けられた橋が爆発を起こす様子を見て、もう感覚的にそういった国々とは自分の思考が違うんだなと感じる。決して社会主義を、というよりそういった独裁政権を肯定するような考えにはならない。

資本主義社会は、生活のところどころにべったりと定着している。

まずお金に関していえば、給料をもらうという感覚が資本社会のそれで、かれこれ昭和時代からお父さんやお母さんがサラリーマン家庭だったりすることが一般化しているので、その子供の子供達までお金は給料なんだなぁ、と漠然と捉える風習となっている。

自分の生み出した成果は、誰かが評価して値打ちをつけて給与的に報酬を払われるもの、という心理が根底に存在する状態が世の中の大半だ。事実そうなんだけど、本質ではない。

転職か何かのCMで、「今よりもっと評価してくれる企業がある」みたいなフレーズが聞こえてきた。それは転職しても誰かの評価を受けて仕事をもらっていくんだね、と天邪鬼的に捉えてしまって、自分的には嫌だなと思ってしまった。

ここ数年付き合う人との関係性が変わってきて、とりわけ経営者やビジネス寄りの人たちを話す機会が増えたのだけど、いわゆる資本家に近い発想をお持ちの方々と、一方で生活を豊かにするために転職だ!と考えている人の間には埋め難い溝がある気がしてならない。

資本主義社会は、資本家がいて労働者がいるという構成だけど、自分が資本家側になる、あるいは、なるとは言わずとも資本を得てそれを運用する形態に答えを出す点に目標を置きにくい。

労働者から資本家への転向、人生のピボットとも言えるかもしれないこの変化はだいぶ抵抗力がおありようで、自分自身サラリーマンからフリーランスへ転向するにあたっては吐きそうになる程気持ちが悪かった。主に不安で。

大いなる株式会社というものに守られた生活から、一介の個人が事業主になるという決断は多分に重く、どこか頭のネジを外すんだ、といったぐらいの気概が必要だった。

そしてその先はもう少しネジを外して、経営者に変わっていく必要があるし、変わっていく過程では外したネジ以上に自分の考えを理論や知識とともに溶接していく必要がある。

転職と言うキーワードひとつでこれなのだが、投資と言うキーワードで気づくこともあった。

絶賛円安の最中だが、FXで驚くほど儲かっているなんて話も聞くし、仮想通貨の暴落で一時期のバブル時に投資した方々は泣いているのか笑うしかないのかみたいな話もよく聞く。

これもマネーゲームを産んだのが投資家であることに変わりなく、そういった為替相場の動きで資産が動くほどの金額は最低でも数千万円からだ。

自分も投資信託口座を作る時に銀行マンに何度も言われたが、元本割れするリスクはどうしてもあるということ。元本割れして生活に困るようではいかんので、毎月の投資額は返ってこなくてもいいやという金額にしている。これはあまりギャンブルと変わらない。

最もギャンブルと違うのは、投資先をある程度見極めて、プロが運営するファンドに投資しておけば一定の利益が出続けるということだ。

こうしたマネーゲームも資産のある銀行や投資会社が「資本家」として労働層に提供している一種の資本社会の縮図な構成になっている。


問題は何かといえば、上述の「人生のピボット」を気力ごと削いでいく社会にある。

もちろん、資本主義社会は資本家がいて、労働者がいなくてはならない。労働者が全員資本家になってしまったら社会は成立しないし、それが共産主義の究極系だ。真に自由な人間しかいない理想郷の話をするのはもう1000年ほど後にした方がいいと思う。

労働者を労働者として尊重し、資本家を資本家として存続させるのが資本社会がシステムであり、日本の社会はこの動きに伴って、ひとりひとりの行動が収束しているように見える。

この歯車は存続しなければならないし、可能であればこの歯車から外れたいとも思う。
自分が大切に思う人たちは、感染症や呪いのように広がるこの仕組みから抜け出して自由になって欲しいと思うし、異端的になるよりかはこの社会の中で慎ましく生活して欲しいとも思う。

矛盾しているが、こうした矛盾を解決してくれる要素を生み出していくことが事業主のモチベーションであると思う。

我々が発明した要素と要素が化学反応を起こし、資本主義社会以外のもちろん社会主義や共産主義ではない新たな社会を構築してくれるのだろうことを夢見て。

最も近しいのがDAOによる自立分散主義だ。金融をはじめ、各業界に大きくイノベーションを起こしはじめているWeb3界隈が最もこの可能性が今の所高い。

トーンダウンしたと揶揄されるNFTも、いわばハイプ・サイクルの幻滅期に位置しており、今後訪れる啓発期と安定期によってより社会に広まるのではないかと言う読みもある。ビットコイン他、暗号資産も同様ではないだろうか。

何よりこういったものに興味を抱き、世界を変える可能性について個人が思考を傾けることができるのが情報社会に進化した現代の一つの可能性だろう。

誰でも情報を得ることができるが、得る情報は資本家がコントロールしている。そのコントロールを疑い、せめて自分の中ではその常識を、壊すまでいかずともヒビを入れてみる。

労働に終始した人生だったのか、あるいは小金を稼いで成金だった人生か、自由に挑戦し幸福な人生だったか。

今から死に際を想像して生きてみても、多分早すぎることはない。

創作意欲の支えになります!