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与えられる笑顔はあといくつあるだろうか

懐かしい夢を見た。珍しいことに、目覚めた今でも強烈に覚えている。

包まれるような幸福に満たされた夢で、大好きな人たちと楽しい時間を永遠に過ごす夢だ。

勿論、永遠じゃなくて実際にあった過去の話に、脳が作り出した妄想を加えた寓話なのだが、嗚呼こんな日常がまた戻ったらなぁ、と思うあまり、目覚めると少し憂鬱で切ない気分になった。

よく、過去に戻れるならいつに戻りたい?という無意味なQ&Aがあると思うが、今ならあの時だと即答できそうだ。

そんな居心地の良い空気感を演出してくれた夢の登場人物たちは、誰もが笑顔だった。

絶対に一度か二度は口論になったこともあるはずで、その時はムカつくなぁ、などと思ったはずなのだが、夢の中に出てくるとそれはもう笑顔で、幸福感の塊のような表情だった。


そんなふとしたことから気づきを得た。「笑顔の記憶がない人」は、こういった類の夢には登場しないだろうと言うことだ。

夢は、脳による記憶の整理が行われるが、記憶の組み合わせによって構築するため、情報源のない映像は処理されない。

ここで一つあなたに試してみてほしいことがある。

いつも仏頂面でしかめっ面のあの人の笑顔を想像してほしい。

誰でも良いので、上司でも親でも、友人でも兄弟でも、親戚でも教師でも同僚でも、いつも不機嫌そうなあの人を思い浮かべ、笑顔の表情を思い浮かべてほしい。

想像できただろうか?

私はかなり想像が難しいし、時間がかかった。

その笑顔が夢に出てくるかと言われれば可能性はかなり低そうだ。


そう、笑顔で接することの重要性がここにある。

D・カーネギー著「人を動かす」の一説にこのような文章がある。

笑顔は好意のメッセンジャーだ。受け取る人々の生活を明るくする。しかめっ面、ふくれっつら、それに、わざと顔を背けるような人々の中で、あなたの笑顔は雲の間から現れた太陽のように見えるものだ。

- D・カーネギー


人の怒った顔や不機嫌な顔など、わざわざ思い出そうとは考えない。

人は、誰かを思い出すとき、ほとんどの場合その人の笑顔を思い浮かべ、好意的な良い印象のみを、切り取って味わうものだ。

わざわざ他人を思い浮かべる際の、自分だけのダイジェスト版に、仏頂面など必要ない。

私は今日、夢にまで友人たちの笑顔が登場したし、とても救われた気持ちになった。友人たちにとって知る由もないことだが、彼らは一円もかけずに他人に幸福を与えているのだ。

生きているうちに人に与えられるものには限りがある。

一人では生きられない赤ん坊も、笑顔を与えることで人を幸せにすることができる。

力のない老人も、その笑顔によって人に安心を与えることができる。

あなたはあといくつ、笑顔を与えられるだろうか。


今日からまた、笑って過ごしていこう。

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