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なにわの一流企業キーエンス②

みなさんこんにちっす❗️

さて、前回のNOTEにて「キーエンス」という企業がどのくらいすごいのか解説しました。
そんな一流企業であるキーエンスについて、さらには創業者について深く知りましょう。
僕は創業者から「失敗は成功の素」という言葉の意味を学びました。
このNOTEを読めば友達にドヤ顔でキーエンスについて説明できます。

ではスターツ❗️

キーエンスの創業者は、滝崎 武光(たきざき たけみつ)氏です。
滝崎さんは1945年、兵庫県芦屋市に誕生しました。
なんと、ダウンタウンの松本仁志さんと同じ尼崎工業高校出身です。

なぜ工業高校に進学したのか?

世の中の政治論争をしている人はほとんどが文系の人であり、結局は好き嫌いで論争をしている事に違和感を覚えたため、自分は数字で戦う理系に進もうと思い、技術職に目をつけたとのことです。
高校では生徒会長を務め、さらには女性と交流をするべく連合会を作りました。
類稀なるリーダーシップを発揮していたことが想像できますね。

連合会て。こんなカリスマ性のある高校生いますかね。
高校生の頃は部活に励んで、友達とイオンで遊んでましたがな。
はい、失礼しました❗️軌道修正します❗️

滝崎さんは高校卒業後、機器メーカーに就職しました。

そして、24才で独立し電機機器メーカー会社を起業しましたが花開くことはありませんでした。その後もメーカーの下請け会社を企業するもあえなく失敗。

「借金と倒産」という失敗から、無駄がない経営は何か?を考えはじめます。

そしてついに、1974年に兵庫県尼崎市で「リード電機」を設立。
5年間も結果の出ない暗い時期を過ごした末の3度目の起業でした。

リード電機はまず、当時大型だった電線の切断機を小型化して製造。なんとこれが大ウケ。
5年間も煮え汁を飲まされてきた滝崎さんですから、こうなると勢いは止まりません。

次に、自動車の製造トラブルに目をつけます。
自動車を作る際に使用していた金型が、プレス加工を行う際によく壊れていたのです。
それを知った滝崎さん率いるリード電機は金型の故障を防ぐセンサーを作っりました。

結果は大当たりで大量受注が決定。

ここからセンサーの開発に尽力し業界の中でも注目が集まり始めます。
創業から約10年後の1985年、飛ぶ鳥を落とす勢いのリード電機はアメリカ現地法人を設立。海外進出を果たします。
その翌年に日本社名を「キーエンス(KEYENCE)」へ変更。
1990年には東証市場1部に上場します。
1991年に「株価日本一」の称号を得ることで利益の高い企業ということを知らしめました。
そして、現在。社員の平均年収は日本企業TOP2、世界44カ国・200拠点で事業を展開している超一流企業になってます。

キーエンスは自社工場を持たないということで知られており、
製造は外注で済ませることで新商品を生み出すための研究に全力を注ぐことができています。
これは滝崎さんが起業を失敗した5年間の経験から導き出した、
無駄がない経営」という考え方が基盤になっていると言われています。

ちなみにここまで一流企業なのにキーエンスという企業をあまり耳にしないのは、B to Bであることに加え、CMなど広告をしないことも原因の一つです。
なぜ広告をしないのか?コストの無駄だからです。
無駄がない経営」を徹底しているわけです。

そんな滝崎さん、日本の資産家ランキング3位に君臨しています。
にもかかわらず、倹約家としても知られており日々のお金は最小限に抑えているとのことです。
しかしこんなにも創業者の人間性が反映されている企業って面白いですね。
「企業は人が作る」という言葉がしっくりきます😆

滝崎さんは70才で会長を退き、キーエンス財団を立ち上げました。

キーエンス財団とは、学業優秀かつ品行方正な学生に対し奨学金給付による経済的な支援を行い、もって社会に貢献する人材の育成に寄与することを目的とする法人です。給付型奨学金の形をとっており、返済不要となっています。

これからの日本のため、若者のためにお金を投じています。

ちなみに滝崎さん出身の尼崎工業高校、偏差値は42程度。そんなに高くないことに驚きです。
元総理大臣の田中角栄さん然り、NITORI創業者の似鳥昭雄さん然り、ある一定以上のレベルを超えると学歴は気にしないと言われています。
履歴書のない実力主義の世界、目指す価値しか無いですね😀

顧客の欲しいというものは作らない
ニーズを超えるようなあっと驚く新商品・新技術を生み出しているキーエンスの創業者 滝崎武光さんの名言で締めさせていただきます。
ご覧いただきありがとうございました。

下記参考にさせてもらいました😆ありがとうございます😁


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