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自責精神とは、、、

こんにちは!りんてんです。

仕事の先輩や同僚、取引先の方から一番影響を受けたことは、彼らの中にある『自責精神』です。時には『自責魂だ〜』なんて言って、自分で自分を鼓舞して、とにかく他責(環境や他人)にしないマインドが、何の仕事にしても、ある程度の事を成す上では根幹にあるべき大事な軸ではないかと信じています。(まだ何も事を成してはいませんが)

同僚のある発言
そんな中で、先日チームのミーティングがあり、最近、中途の新人の方(30歳)が新しくチームに加わることになりました。爽やかでとても元気が良く、チームを活性化させてくれるような期待を感じました。
ただ、彼の自己紹介やミーティング後のチーム内での食事の際に、一つ気になってしまったことがありました。

『僕、斉藤和義の【ずっと嘘だったんだぜ】って歌が大好きで、このロックな精神たまんないです!』

かなり話題になった歌なので、多くの方がご存知かもしれないですが、斉藤和義さんというシンガーソングライターが、3月11日の東日本大震災での原発事故に対して、自らの楽曲「ずっと好きだった」をカバーした替え歌です。
歌詞の内容としては、大まかに言うと、原発の安全性に関して、国や東電が国民に対して『嘘をついていた』と非難をしたものです。

原発の是非や震災で被害に遭われた方々への心情的な話をここで話すつもりはありません。ただ、この歌がかなりの支持を集めた、という事実に、当時からちょっとした違和感を感じており、件の彼の自己紹介において、その違和感をまた思い出してしまった、という話です。

原発とは、、、
誤解を恐れずに言えば、原発がクリーンというのは、単に二酸化炭素の排出量が少ないというだけの話。 

事故があって、放射性物質が外に出れば、周囲が汚染されるのは当然のことだし、使用済み燃料の処理技術が未熟だというのも周知の事実であると私は思っています。

そういった問題を抱えているからこそ、運用には万全を期すべきであるし、十二分に安全を確保できるような設計を施さなければならないはずです。震災後の対応云々はまた別の議論になると思いますが、こと3.11の大地震による原発への影響に関しては、設計に対して十三分目が来たと言わざるを得ないと見ています。(あくまで個人の見解)

テレビをほとんど見ないので、いつ、どういう言われ方で安全だとかクリーンだと言われたかは知らないですが、別に嘘を言ったわけではないと思う。 

「二酸化炭素を出さない、という意味ではクリーンであり、当然設計には万全を期して最大限、安全になるように作ってある。」 

元々はその程度の意味合いでしかないし、現在言われているような「安全」、「クリーン」の拡大解釈は、伝え手の誇張か、伝達途中で尾鰭がついたか、どちらかの結果なのだろうと推察します。

ただ、上に書いた話なんて専門知識でも何でもないから、少し調べれば誰でも考えつくことなはずです。 

「嘘をつかれた。」 

と本気で言っているなら 

「考え足らずでした。」 

と言っているようなもの
、では。

誤解のないように言っておきますが、脱原発を非難するつもりはないです。

そんなことを言っている内は、また同じ目に遭うということを言いたいのです。

今回のことで、代替エネルギーの話を出す人も少なからずいますが、あれはあれで問題や危険性がないわけではないし、今回のような想定外のことが起これば何かしら問題を起こす可能性は十分にあると思います。

科学技術なんてものは、人間の能力を遥か超えたところにあるものなのだから、そんなの当たり前のこと。

「嘘をつかれた」と他人に全ての責任を押しつけないで、「もっと知っておけば」と自分に少しでも責任がある部分を探して、歌ったほうがよっぽどかっこよかったと思う。 

脱原発を目指すのはいいことだと思います。

しかし、だったら代案を出せとまでは言わないですが、色々と調べ、考える姿勢ぐらいは身に付けるべき。

そしてそれは「嘘をつかれた」なんて言っている内は絶対に身につかない。 

新メンバーの彼がそういう姿勢であると決めつけるつもりはないですが、ロックな姿勢の方向だけは間違えないでいて欲しい。

ちなみに、斉藤和義さんのことは私も大好きです。彼の歌に自身の甘酸っぱい青春を重ねていたクチです。

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