ただいま。

喧嘩ばかりしていた私達。

相手のために、離れた方が良いのではないかと思う時もありました。
お互いに、それは思う事でもあって。

だって、あまりにも育った環境が違い過ぎる。
考え方や価値観が違い過ぎる。

それでも離れたくなかったのは、相手の隣にいたいと思うから。
パニック発作起こしても、落ち込んで寝込んでも、つかみ合いの喧嘩や言い争いになっても。
仲直りした時の相手の笑顔が眩しくて、愛しくて、たまらないから。
そんな相手に、何度も何度も恋に落ちてしまうから。

今まで、私は穏やかな恋愛しかしてきませんでした。
masaは情熱的な恋愛をしてきました。聞いている限りですが。

大きな喧嘩もなく、相手に必要以上に踏み込む事をしなかった、私の恋愛。
相手のために、自分のために踏み込んで、時には喧嘩をし、たくさん考えて、あがいてきたmasaの恋愛。

どちらが良いという訳ではないと思いますが、お互いにとって、恋愛の仕方がとても斬新でした。

そんなにmasaに踏み込めず、感情をぶつけられなかった、過去の私。
私と自分のために踏み込んで、色んな感情をぶつけてきたmasa。

それは楽しいだけではなく、とても痛みを伴うものでした。
分かり合えなくて、悲しくて、でも、どうしても分かってほしくて。
こんなに好きな相手なのに、理解してもらえない辛さをお互い味わいまくりました。
喧嘩した後、話し合いをして、お互いの感情ばかりぶつけて相手の事を思っていない私達がいました。

そんな不毛な話し合いに手を差し伸べてくれたのは、masaのお母さんでした。
masaの精神疾患にあまり理解を示していないように見えたお義母さんでしたが、私を通してmasaの根本にある問題が分かってきたようです。

それは、幼少時に当たり前にもらえたはずの、愛情不足でした。
私は、それなりに普通の環境で育ってきました。
ですが、masaの人生は波乱万丈で。
当たり前にもらえる愛情が、もらえていませんでした。
ご両親は、もちろん愛情を注いでいたと思います。
しかし、それはmasaの望む形ではありませんでした。

私の方は、両親や周りに愛情を注いでもらっていたのに関わらず、何故か自己肯定感が低く、初めて恋人が出来るまで、自分のような人間を選んでくれる変わった人などこの世の中にはいないと思っていました。
何か、特別なものをもっている訳でもなく、当たり前に周りがしている事も出来ない。
そんな私を愛する人などいないだろう。
そう、思っていました。

何故そう思い込んでいたのかは、カウンセリングしていかないと分かりません。

そして、masaと私は、そこが似ていました。

本当の意味で、自分という人間を受け入れてくれて、愛してくれる人などいない。
周りで幸せそうにしている人達のようにはなれない。
だって、私には、欠けているものが多過ぎるから。

だから、少しでも周りの役に立とうと思いました。
こんな私でも、相談してくれる人がいる。

私は解決策なんて持っていなかったので、話を聞く事しか出来ませんでしたが。結果的に、相手が望んでいたのはそれだった事が多かったです。
masaは、どうしたら相手の問題を解決出来るか考えて、色々提案していっていた人です。

私達は、それぞれ寂しくて、居場所を探していました。
そして、お互いを見付けて、ここを居場所にしたいと思いました。

どんなに合わなくても、それは相手の個性だと受け入れようと頑張って。
合わないところより、相手の魅力的なところが大好きですから。

お義母さんは、それを忘れかける私達に辛抱強く、何度もそれを思い出させてくれました。
お互いの良いところ。大好きなところ。一緒にいたいと思った理由。

お義母さんの近くで二ヶ月近くいさせてもらって、たくさん考えて、話し合いをしました。

これから、お互いどうしていったらいいのか。
二人で笑い合って手を取り合うには、どうしたらいいのか。

それは、例え相手が自分にとって許せない事をしたとしても、相手を許す事でした。受け入れる事でした。相手を否定しない事でした。

少しずつそれが出来るようになって、ようやく私達は自分達の家へ正式に戻ってきました。

お互いに、恋にまた落ちていく新鮮な気持ちはあるでしょう。

でも、結婚をし、パートナーとして共にいる。
その重みを充分に理解した上で、人生を共に歩くと決めた相手だと認識した上で。
お互いのインナーチャイルドに「大丈夫。もう独りじゃないよ。愛してくれる人、見つかったよ」と語りかけつつ。

喧嘩はこれからもたくさんするでしょうが、きちんと向かい合い、話し合える私達がいると信じて。
一日一日を大事にしたい。

隣で眠るmasaを見て、改めてそう思いました。

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